細胞の単位での進化・適応、コロニーの単位での変態(メタモルフォーゼ)・寛解:細胞は破壊と再生を繰り返す。身体というコロニーは常に変わり続けている。f(食物連鎖)=生命

余り気にしていなかったのだが、「エイジング」と言う問題を考えるとわけが解らなくなる。

身体のどこに「年をとったという情報」を持っているのだろうか?



父を見ていて感じた事だ。
「身体というコロニー」は「老化」と言う概念を持たないのではないか?
いつも、その瞬間の「身体というコロニー」を最大限に利用しているのではないか?
臓器が衰えて全体を維持できなくなった時、細胞は自死しながら生き残れるリソースが残るのではないか?

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【生命の目的】
乾燥した環境で、細胞生命(DNAを両親から受け継いだ「私細胞」+「細菌やウイルス」といったマイクロバイオーム)が生存できる環境を長く維持する事が目的と考える。

「子供を作る事」は「私細胞」においては移住(と言うか新たなコロニーの作成)になる。
多くのマイクロバイオームにおいては他のコロニーへと広がろうとする試みである。

カニバリズムはもしかしたら「死んだ生命」の私細胞を受け継いでいるのかもしれない。ある種の原生動物では記憶が共食いで移行するという?
精子卵子のダンス=セックス」は「ウイルスが他人細胞にタンパク質を作らせる=感染」と非常によく似ている。



【老いについて】
長期間の記憶こそが過去の自分との比較を通じて、年取ったと感じさせているだけではないか?

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もう少し考えてみたい。



シマウマなんかは生まれた瞬間に走り出す。
ヒトは立ち上がることさえできない。
だからヒトは「中途半端に生まれたサルなのだ」と言う考え方が出てくる。
しかし、これは間違えている。
この「人は特別なのだ仮説」僕も信じていたが、色々な現象を説明できない。


ヒト以外にも、鳥などは巣から落ちたらあっという間に死ぬし、肉食獣も狩の仕方を覚えなければ死ぬ。
その片面、生まれた瞬間から「せっせ」と生きていける生命もいる。



赤ん坊は「乳」が提供される「食物連鎖」の中で生きるのだ。
やがて歯が生えて、消化器官が外部高分子化合物(タンパク質・脂質・糖質)をご作動しないレベルまで分解できるようになった時に離乳食が始まる。

これは、メタモルフォーゼとは考えられないだろうか?

つまり、生命は「利用可能な食物連鎖」の流れの中に常にいるのだ。
そしてその流れに向き合える形態へと常に「メタモルフォーゼ」を繰り返すのである。
外見が同じだから気が付かないだけなのである。



年令によって食事が変わるというのはアタリマエのことだ。




歳を取るという考え方は、「生まれて外気に触れた瞬間」を0歳として、これをあたかも工場からの出荷された自動車のごとく考える。
そして、自動車を運転して走行距離が上がっていくと傷がついたり、消耗品が壊れていって交換するようなイメージである。


しかし、年齢を加えるごとに変わっていく自分に合わせた食事こそが幸運な人生の終りを迎えられるであろう。


食事に自分の体を合わせるために「薬」を飲むのか
自分の身体(のステージ)に合わせた食事を探すのか?



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成人になった時に、





細胞内のタンパク質の寿命を考えて調べ始めたが、よくわからない。

膜タンパク(各種受容体)はどう置き換わっていくのだろうか?

インスリン抵抗性」には、インスリン受容体の数は関係するのっだろうか?
インスリン受容体とインスリンが結びついたあとで、インスリンはどうなるのだろうか?
すぐに離れるのだろうか?

インスリンは5分程度で分解されるというが、どこで破壊されるのだろうか?



ちと気になったサイトタンパク質の死’を誘導する


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