2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

何で、娘の結婚式で涙ぐむのかなあ。結婚式のコミュニティモデルの変遷。

今朝、マルーン5のPV見て涙ぐんでしまったのだけど、なぜか考えてみた。家族というコミュニティを作り、娘と親は同じ価値を持つ。 子どもは親が喜ぶ顔が見たいから、そのコミュニティの中で人生を楽しんでいく(様に振る舞う、実際に楽しいのだと思うが....…

参ったなあ、娘の結婚式を想像してないてしまう。

マルーン5って知らなかったけど、いいねえ。 こちらのページから【和訳】 僕は傷ついてるんだ もう壊れてしまいそう 君の愛が必要だんだよ いますぐに 君がいないと なんだか弱虫になってしまうんだ 君がそうさせたんだよ 僕はひざをついてお願いするんだ君…

古い友人とあった。少し落ち着いてきた。

色々なことはいつも起こる、そして少し落ち着くのであった。 先月、利用しているプロバイダが、突然スパム対策ということで、私の利用しているメールアドレスを利用できなくした。 お知らせもないままに、行われたのであった。 なんか、メールが来ないよなあ…

人は孤独には耐えられない 上村さんの事件に思う 「ドロップアウト」のコミュニティ論(3) 無視を始めたマスコミ

上村さんの家庭の事情が明らかになるに連れてマスコミは無視を始めた。彼のおかあさんはシングルマザーで5人の子どもを育てる彼女は、昼間は介護の仕事、夜はスナックで働いて家計を支えていた。オトナの社会ではそんな母親は爪弾きにされる。そして子どもの…

かぐや姫って嫌なお話だなあ。しかし、その本質は社会における余剰の分配の話であり、通貨としての女性の問題である。社会システム論的に見た「かぐや姫」再考。

このエントリーは「かぐや姫問題」に入ります。 かぐや姫と言うお話は、一族(そこに属する女性)にとって結婚という制度が就職先で有ることを実感させる。そもそも、社会の生産性が低い時代は、余剰がなく、余剰を再分配する社会システムも規模は小さかった…

人は孤独には耐えられない 上村さんの事件に思う 「ドロップアウト」のコミュニティ論(2) 新発田での殺人事件

あたかも「上村さん」の殺人事件を特殊な事件のように扱う風潮には異議を唱えたい。 マスコミは「イスラム国」の残虐性との関連を唱えるが、アホじゃなかろうかと思う。先にあるのは「ヒトの残虐性」である。 それは僕にも、誰にでもある。 単にそれぞれの状…

人は孤独には耐えられない 上村さんの事件に思う 「ドロップアウト」のコミュニティ論

高校1年生の頃、Yさんという女の子が、秋口に突然パーマをかけてきた。 少しクラスで浮いていて、シカトされたりしていた。 上級生の「不良」グループに入り、同級生からは恐れられる存在になった。なぜ彼女は、クラスに居場所がなくなったのだろうか? 担…