幸運な病のレシピ( 1543 )夜 :汁、父の入浴、〜父と一杯やった。身体というコロニーから見た栄養学の話あります。

【 2019/9/10の食事 】

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夕方、仕事も一段落したので、少し実家に足を運んだら、父がガレージでタバコを吸っている。
あまりに驚いて、言葉を失っていたら「髭を剃りたい」と言う。


実家の風呂は狭いからお前の家の風呂がいいという。


うちの風呂は二階である。
こないだまでフレイル(と医学者がよぶ状態で)で何も食べていなかったから、二階にあがれるか心配だった。
筋肉量の減少などと定義されるが、何よりも恐ろしいことは「生きる気力がなくなること」なのである。
年齢に無関係に誰にでも訪れることなのだ。


しかし、自分で入りたいというのだからこれは驚きである。
いくら風呂に入るように勧めても入ろうとはしなかったから、嬉しかった。

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妻は仕事でいないし、娘な遅くなると知らせてきたばかりだ。
一瞬あと送りを考えたが、善は急げである
ご飯はたけていなかったので、数日前のリゾットドリアの具の方を温めた。
急いで汁を作った。
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食事は何とでも作れるし、酒は少しだけ有る(父には十分な量である)。
ユックリ食べていてもらう間に一気に片付ければいいし、洗濯も溜まってきているから丁度いい。

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父が風呂から上がって来たので一緒に一杯やった。
僅かな酒で嬉しそうに父は酔、僕も酔った
夏のあの時が嘘のようだ。
何も食べれない父のベッドの端でどうしていいか分からなかった。

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6月の半ば過ぎから来なくなってきて、7月は随分食べれなくなり痩せていった。
8月は覚悟を決めて、葬儀屋さんや菩提寺に相談に行った(何と段取りがいい)。
8月の東京出張位から、食事を食べ始めていた。

父の身体というコロニーが、新しい状態で生を営み始めている。
歳を取るというのは後戻りできない道を進むようなものだ。
身体というコロニーの中で多くの臓器は衰え、その状態で生きていけるように、細胞生命達は適応していく。


生命というのは、「生まれたときが完成品」なわけではない。
生まれたときが、工場出荷時の自動車のように医学は考える。
だから、再生治療はうまく行くわけがない。
その臓器の細胞は、膜タンパクの組成(配置や数)から内部の代謝系、全てワンアンドオンリーの存在である。
発生が始まった瞬間から独自の道筋を通ってその瞬間にいたり、これからも変わり(適応し)続けていく。
僕の身体というコロニーを構成している「私細胞」も「マイクロバイオーム」達もそれぞれに周りのことなど知らない。
共通のプロトコルに従って常にいまと向き合っているのだ。


2000年前後にヒトゲノムは解析された。
その時に驚かれたのはタンパク質の定義のあまりに少ないところである(ヒト45,000,大腸菌4,500)。
しかし、考えてみれば分かる。DNAは「目で見える生命というコロニー全体」の設計図なわけではない。
「細胞」と言うレベルの設計図なのだ(ミトコンドリアは独自のDNAを持つからもう少し違った定義がいる)。


大腸菌は非常に単純なプロトコルしか持たない、人の細胞はもう少し複雑なプロトコルを持つ。
プロトコルの複雑さは、より広い環境に適応できる。
ドーキンスはこの概念を「延長された表現型」と呼んでいる。

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9月に入ってから一回来ている。その時も、少しだけ飲んだ。



いつもこれが最後と思いながら飲む。
どちらが先かなどということは誰にもわからない。
今日の一杯を喜ぼう、

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人の身体は面白い。

まもなく大仕事で茨城に一週間出張だ。
明け方から長いプログラムの修正やデータの調整をしていた。
自宅で仕事ができるからこうして父と生きていける。

ほんの50年前までは当たり前の姿だったのだ。
少し色々なことが見えてきたような気がする。
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こんなふうに毎日を送ることのできる僕は幸運である。




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今日もよく飲んだ。
締めのラーメンも食べた。
しかし、何で食べ無いほうがいいと思いながら食べるのだろうなあ。


なぜここで寝る。
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「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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