『私達は今でも進化しているのか?』(1)この本は糖質制限を批判しているのだろうか。問題は私達にエデンの園はないと言うことである。

『私達は今での進化しているのか?』と言う本の帯には「炭水化物は人類を滅ぼさない」と書かれている。

巻末の解説という3ページほどの『炭水化物は人類を滅ぼさない 垂水雄二』と言う文章が付いている。
この本は大変面白い内容なのだが、こういう馬鹿なことをされてはなあ、残念である。
それだけ、「糖質制限」と言う考え方が話題なのだろう。

この、垂水雄二と言う人は、ドーキンスの翻訳なんかもしているのだから結構有名な人なのかもしれないが、この解説文はいただけない。
糖質制限が、バレオダィエットの派生品だと論じているのであるが、全くの間違いである。
また、炭水化物が人体に絶対に必用な栄養素だというのも間違いである。ここに載っていた。


ブドウ糖(グリコース)」はあらゆる生命の『共通の通貨』ではあるが、食べ物としての「炭水化物」はそうではない。

ヒトにとっても、原始時代から炭水化物は食物摂取の大きなアイテムではあった。
しかし、決して今のように多くはなかった。
採集生活の中で時々出会うお宝だったのである。



多くの(反糖質制限派の)論者はこの2つの命題をごちゃにしている。また逆も言えている。



糖質制限の源流は、先にも書いたがアメリカの医師バーンスタイン博士の様に既存の医学に対しての挑戦にあった。

詳しくはこちらをどうぞ。



とにかく『糖尿病の治療』というのは歴史が浅いのである。
今度書きたいと思っているのだが、『インシュリンインスリン)』の発見はわずか1920年である。
そして夢の治療薬として、多くの患者を救う、と同時に医薬品メーカー、医師に大きな利益を与えるのである。



この問題の根は、『グローバル企業による炭水化物の異常な量の販売』にあるのである。
ヒトが炭水化物を、ある程度の量以上に摂取すると、体の中で処理できなくなる。

僕は2型糖尿病で、おそらく膵臓のランゲルハンス島のβ細胞はすでに多く死んでいて、炭水化物の襲来に適切に対処できないのである。
蕎麦gi値は低いと言われ推奨されている食べ物)一杯食べただけで386mg/dlまで血糖値が上昇して下がらないのである。

糖尿病が、炭水化物アレルギーであると考えれば理解できる。
また、「糖質制限」を推進する側の論調も「少し過激であったりする所」が批判されてもしょうがない部分でもある(笑)。


この本は、「バレオダイエット」と言われるダイエットに対しての全面的な批判である。

「バレオダイエット」とは原始人のライフスタイルこそが素晴らしいという考え方に立っている。

人は文明によって、不幸になった。「採集狩猟型の生活」はパラダイスであった。
そもそも農耕が不幸の始まりだった。
という考え方がバレオダイエットの根幹にある。

そして、人類に最適の環境というのは『農耕以前の環境なのだ』という考え方である。

著者は「このダイエット(及びベースの思想)」を批判するとともに、私達の「進化」に対しての考え方を問いなおしている。



そもそも「エデンの園」と言う神話が何を意味するかというと、「今の私達は不幸である」「昔はよかった」この2つの考え方である。
その考え方に対して「進化」の立場から批判するのである。




進化というのも、誤解の多い言葉である。
進化とは環境に対して適応しようとする『自分が変わろうとする生命の力』なのである。
同時に「変わることで競争に勝とうとする生命の戦略」である。

そのような生命のあり方を考えてみれば、『最適な生命』などというものはないのである。
生命は常に変わることで環境を変えて他の存在より優位にたとうとしているのである。
固定的な、環境などはない。

所が、バレオダイエットの考え方は、どこかに、私達にとって最適な環境があり、私達の遺伝子はその環境に最適化されているという考え方がベースにある。


P61にピンカーさんの「暴力の人類史」を引用している。
僕はピンカーさんが大好きなのである。

ピンガーさんは『今の時代は戦争という大量殺人があり不幸な時代で、過去は良かった』という考え方を違うと言っている。
彼は、採集狩猟のライフスタイルは非常に暴力に満ち満ちている環境だったと論じている。

この本の中で、ピンカーさんは「人類学者による採集狩猟の文化で生きている人たちの調査」を上げている。

ある集落の男たちが狩猟に出かけているスキに、他の集落の男が襲いかかったのである。
女、子どもはさらわれ、年寄りは殺されるのである。
襲われた集落の男たちは二年後に同様の事を襲った集落に対して行うのである。

また、化石となった人骨に人の歯の跡がついていたということから、人間は食物であったこともはっきりしている。
採集狩猟の生活は、食物を保存しておくことが困難な生活であった。

社会の生産性が低い時代は、小さな集落しか維持できない。

すごい話である。



では、農耕は何を変えたのだろうか?


食物を保存することが可能になったのである。


穀物は、乾燥させて保存が可能なのである。また、ほとんど手間を掛けないで食べて活動することが出来る。

炭水化物の栽培は労働力に対しての数倍の人間を維持できるのである。

これが何を意味しているか、他の集落の人間は殺すより、栽培に使った方がいいと言うことである。
また、むやみな殺人は、労働力や戦力の低下につながるので、抑制された社会のほうが優勢になる。

その意味では炭水化物とヒトは共存している。
すでに、ヒトは炭水化物から離れては存在できない。





問題は、『炭水化物の依存』をビジネスに結びつけている社会システムにある。
穀物メジャーと言われる一連の企業は、手軽に食事を始められて、強烈な満足と依存性をもつ炭水化物を売って利益を出しているのである。

日清の炭水化物事業(カップラーメンや小麦粉など)を考えれば分かる。
世界の一番安く作れる所で作った炭水化物を一番高く売れる所で売るのである。


僕のように閾値を超えて炭水化物をとり続ければ、当然、体は多すぎる「ブドウ糖」を処理できなくなる。


グローなリズムはますます多くの人間を不幸にする。




僕は、過去を良かったものだと考えるのは間違えだと思う。
そして未来に過大な期待をかけるのも問題である。

未来とか過去を論じるには私達の生命は短すぎるし、見えるものがあまりに少なすぎる。



606432


暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

私たちは今でも進化しているのか?

私たちは今でも進化しているのか?



凄い詳しい評を書いている人がいた。