幸運な病のレシピ( 1985 )朝:魚焼き器で4種類(ギス、イワシ、鱒、鶏もも)、味噌汁、マユのご飯

【 2020/4/1の食事 】

朝は魚焼き器を毎日使う。

ギスとイワシは昨日さばいておいた。鱒は安めの物を買った。鶏ももは唐揚げを作るときに半分味醂と醤油につけておいた。
料理を毎日作るということは、今日唐揚げをするときに明日の醤油照り焼きの下ごしらえをするということだ。
ギスは昨日の天ぷらに使うために捌いたが、みんな(天ぷらで)食べるほどでもなかったので大きめのものからタッパに保存していた。味噌汁の青菜はおつとめ品(廃棄前の値段安い状態)である。

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毎日料理を作るときには、仕入れは大事な作業なのだが、そのコツを解説するレシピ本は皆無だ。

毎日食事を作るのは辛い。商品化された食事を食べないという宗教に入っているようである。
考えてみれば、「宗教」の「食事コード」は感染症を始めとする様々な災厄から身を守るためのものである。
僕は食事を素材から毎日作ることで、身を守るのだ。
医師や栄養氏の言う様な生活をしていたら、生活習慣病に怯え、何種類もの薬を飲んで手術を繰り返して「経管・輸液・胃瘻」の辛い老後が待っていることは統計的に明らかである。
マニュアル取りのことしか言えない「あの人達」を責めるのは酷であるが。
「あの人達が太鼓判押す食事」をしていたら。みんな同じ道を通るのだ。還暦クッキッグを始めよう!

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父の霊前飯
夜に僕が食べるのだ。
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「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masay

僕のマイクロバイオーム論(32)ライオンとダックスフントの友愛というのはあまりに擬人的である。種という壁を勝手に作り勝手に乗り越えると感動するのは人の勝手なのだ

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これって、マイクロバイオームに生命というコロニーが操られている事を実証している。
と言うよりもこの現象を合理的に説明するには「種を超えた友情説」よりも、「身体というコロニーを操るマイクロバイオーム論」のほうが筋が通る。

僕は犬のマユくんと一緒に寝ている。
マユは僕にペロペロする。
人の皮膚は30日で3kgが外部に滑落(押し出される)する。真皮組織がタイトジャンクションで結ばれた細胞のシートとして表皮となり、脱核して皮膚の表面に押し出される。
粘膜ではそのまま粘膜となっていく。
身体という大きな風船は常に外側に新しい膜を張り出していく。そして常に同じ様に見える。

しかし、マイクロバイオームを含んだ大量の皮膚片は外部に押し出されるのだ。
それが多くの情報を周りにアナウンスしているのだ。

虫が好かないとか一目惚れという理不尽な心の動きは、他人の皮膚の断片が体内に入ることで生まれる。
杉の花粉ならば涙や鼻水であるが、もっと大胆に人を操っている。

握手会に集まる赤者の気持ちがわかる(笑)。
接触れるんだからね。


しかし、握手する方の女の子のメンタルケアをしなければ、その子は壊れてしまう。
若いアイドルが性的に奔放なのはそれなりの理由がある。



情報は常に物理的な物質の伝達を伴うのだ。



赤ん坊と犬の動画は面白い。マイクロバイオーム的には「ヒト」と「犬」の間には行き来する何らかのメリットがあると考えられる。
つまりは、どうしてもしなければならないのだ。
それを友情などと擬人化するのはナイーブな人間極上主義の表れである。
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庭いじりの贅沢:ブロック塀の補修でセメントを買ってきた。庭いじりは海外旅行より楽しい。

僕が小学校に入学するときにたったこの家のブロック塀はすでもボロボロで、毎年雑草が生えてきている。
すごい隙間がありもう少しすると雑草が生え始めるので一気にかたをつけることにした。

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なんとかしようと思い以前友人の庭師さんから頂いたレンガで補強することにした。
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インスタントセメントという10kg500円ほどの砂入りセメントを買ってきた。

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そうせなqので庭への上がり口もかっこよくすることにした(笑)。

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上り口は二箇所作った。こちらのほうがかっこいい。水もたまらない。

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ブロックの下から生えてきている山椒の木はそのまま活かすことにした。

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寒くて辛い日をはさみ、4日程かかった。セメントが足りなくなって一回買い足した。
5袋買って、一袋半余っている。何に使おうか。

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かなり上手になった。これで僕が死ぬまでのブロック塀はもってくれるだろう。

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ハワイ行くより庭いじりである。

幸運な病のレシピ( 1984 )夜:血糖値の上がらない焼きそば、ロール白菜の仕立直し汁、お酒少しだけ

【 2020/3/31の食事 】

ほとんどのレシピ情報は作りっぱなしだ。

当然後片付けもしないし、作ろうとして材料が腐っていることもない。出来上がりも七五三の記念写真のようだ。
そういう「もの」を見るときっとこの人は毎日作ることはないんだろうなあと思う。悪いことではない。どうせ見ている方も毎日作る時間などない。しかし、食事が原因で生活習慣病(検査値の異常)と年取ったときに何種類もの薬を飲んでやがて、手術を繰り返して、骨折し「経管・胃瘻・輸液」の後に孤独な死を迎えるということは薄々気がついている。
専門家は誰も言わないことだ。
皿の上に何がのっているかよりも、その料理が作られるプロセスのほうが重要なのだ。
「乾燥・抽出・濃縮」工程はコスト安く食事という商品を作るが、生命のミイラを作るだけだ。炭水化物は毒ではない。あまりに美味しすぎてコストが安いから皿の上から50年前の食卓には満ち溢れていた生命を追い出すのだ。

数日前のロールキャベツが余っていたので仕立て直した。

上手く材料を足し、味を入れるとこれだけで満腹になる。焼きそばが一人前あったので新タマネギとモヤシととキャベツに昨日のステーキ(オオ!)の余った分を加えて3人前にした。
少しビールのんだ(笑)。だんだん少なくとも眠れるようになってきた。仕事も片付けよう。お待ちいただいているお客様には感謝である。

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「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



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幸運な病のレシピ( 1983 )昼:トンカツ、手羽先唐揚げ、ギス天ぷら、新タマネギかき揚げ、ギス・イワシ下ごしらえ

【 2020/3/31の食事 】

いい天気だ、少し元気が出てきた。

今日は妻がパートなので、トンカツとキャベツ千切りである。
昨日スーパーからギスとイワシを買ってきていたので内蔵を取り、タッパに入れた。
ギスは天ぷらが美味そうだったのでトンカツと一緒に揚げた。
新タマネギはかき揚げが好きだ。旨味が衣に溶け込んで最高だ。かき揚げとギスと残っていた蕎麦を食べた。最高である。
いい天気である。少し仕事しなければいけないのだ。

毎日作る食事は、最初に冷蔵庫の中の材料がある。
そしてレシピを組み立てる。

レシピ本や料理番組では最初にレシピがある。僕の場合は、冷蔵庫を開けてから何にするか考える。そうしないと野菜や肉が悪くなるのだ。前日の残りも何とか食べないともったいないし家族の口(好み)も腹(欲望)も考えないといけない。そんな事をいつも思う。毎日続けることの価値はきっとあると思う。無論少しずつでいいから自分にピッタリの食事を作ることを楽しむといい。

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「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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幸運な病のレシピ( 1982 ):父の最期の食事、仏前のお供え、家族にとっての食事の意味

母がなくなってから毎日父の食事を作った。

母がなくなって、僕も父もメタメタになり、酒が止まらなくなった。父は愛する妻を失い僕はとんでもない現実に向き合っていた。父と僕自身の人生を守るために必死だった。
毎日二人でとんでもない酒の量だった。
半月ほどで父はロレツが回らなくなって、立てなくなり、救急搬入した。検査では何も病名は付かなかった。
僕もひどい状態だった。何とか食事で元気に生きてもらいたいと思い、必死に素材からに料理を作った。そして徐々に酒の量が減った。父をケアすることで自分も助けられたのだ。

一緒に食べて、何を一番好んでいるかを見ていた。

御飯の量も1/3にして、オカズと汁で満腹になるように食べてもらった。
できるだけ刺し身と魚、肉と汁を組み合わせて「食べることが嬉しい食事」ができないか頭を絞った。
母が毎日キャベツを刻んでいたので、必ず小鉢に入れた。ヨーグルトと果物をもう一つ付けた。

父は酒は好きだったので、少し減らして、一緒に飲んでいた。後に2合ー>1合と徐々に飲めなくなってきた。

毎朝6時位には味噌汁と魚を用意していた。父は時間に縛られない(笑)。
朝4時位に来て僕を起こし、テレビを見ている間に朝食を作ったりもした。
夜は5時には夕食を用意した。うちに来るのが遅いときはかごに入れて持っていった。


2020年3月8日に父がなくなった。

毎朝、お早苗のお膳を作り霊前におく。存命の頃と変わりなく作り、器は小さいが盛り付ける。夜に霊前から下げて、僕がいただく。米は少し硬くなっているが酒のつまみに丁度いい。
霊前に備えても死んだ人間が食べるわけではない。当たり前だし、そんな事しても意味はないと言われればそのとおりだ。けどね、一食盛り付けるごとに様々なことを思い出す。幻想かもしれないし早く忘れるに越したことはないかもしれないが、人の心はそう簡単ではない。

少し前に友人(数年前に施設に入っているお父さんを亡くした)からお悔やみの電話をもらった。まともに話すこともできなくて失礼したのだが、彼には「そんな風になっているお前が羨ましい」と後でメールいただいた。

それでも毎日少しずつ元気になってきている。
若い頃は宗教など馬鹿にしていた、しかし宗教という伝統的な「ケア」の意味がわかる。
マイクロバイオーム的な解釈も成り立つ所が面白い。


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栄養学は、老人の食事に関してのガイドラインを策定している。
内容を見てみると、まさにサービスする側のために作られているとしか思えない。しかし、それは仕方がないことである。

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介護施設に限らず、行政のサービスは「公平」でなければならない。
食事の公平さというのはなんだろうか。
随分考えているが答えが出ない。

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毎日朝作りながら思い出す。父がいつも「旨いがな」と言いながら食べてくれたことを。
思い切りいい笑顔だった。

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やがて子供も結婚してどこかに暮らす。
妻と僕はどちらかが先に亡くなり、立てなくなったら、施設に行くことになる。
自分で料理を作れなくなったらそうなる他ないのだ。

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母のことを思い出す。

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f:id:masaya50:20200331091817j:plain:w300 f:id:masaya50:20200331092142j:plain:w300 毎日作りながら、思い出すことばかりだ。

父が最後に食べた食事

イチゴに口をつけたぐらいだった。この後はもう殆ど食べれなくなった。ポタージュスープやフレッシュジュースを用意したが唇を浸す程度であった。
食べられなくなったら、お別れだと思っていた。
「点滴、経管、胃瘻」はヒトを長く生かす。しかし、自分出てべたいと感じないのに「食べる」ということは、身体というコロニーの内側で生きていけなくなっているのだ。
点滴は、身体というコロニーに生きる細胞生命のネットワークをフェイクする。あたかも他の臓器が「健全である」かの如く騙すのである。
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すべて生命はメタモルフォーゼしながら環境に適応していくのだ

点滴で生きたまま最後を迎えた方の遺体は痛むのが早いと葬儀店の方に聞いた。
昨年の7月に父は全く何も食べれなくなって僕はオロオロするばかりだった。
しかし、父は戻ってこれた。
食べれなくなるというのは「メタモルフォーゼ」が体内で起こっているのではないかと思い始めた。

「心臓や神経細胞(=脳)、甲状腺膵臓、腎臓」のような再生できない臓器は発生してからの「生」を記憶する。だから寿命がある。
そしてそれらの寿命のある細胞が寿命を終えると、残った細胞たちはその持ち駒で生きなければならない。
例えば僕はII型糖尿病っであるが、これは膵臓が何らかの事情で死んでいったために起こる。他の細胞たちは血糖値が高くなることで新しい環境を知りその場所で必死に適応しようとする。
インシュリン抵抗性」という現象を細胞たちの新しい環境に対しての適応だと僕は考えている。


様々な形で身体というコロニーに存在する細胞たちはコミュニケ^ションをとるのだ。
それが検査値の異常なのだ。




生命というコロニーは「食物連鎖(同じ温度・水分の変動の環境のエリア)」の中で生きる。
食物(それを構成している細胞)は「栄養素」が入っているコンテナではない。
その細胞の水の中には、数億のタンパク質があり、そのタンパク質を作り破壊する代謝系で溢れている。生命が満ち溢れているのだ。
生命を父の身体の中に運び込む食事を作ろうとした。

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家族の食事の意味

葬儀にかえって来た息子と娘が料理を作ってくれた。食事は家族をつなぐ絆だと思う。
自分たちで作って食べる食事は、失敗することも、味付けが薄かったり濃かったりすることが多い(笑)。
しかしレストランではない。
利益を出すために作っているのではない。

グルメ番組では客が偉そうに味を評価する。
僕の家で、食事を食べて、そんな事しやがったらタダじゃおかない(笑)。
食事はある意味権力関係の延長である。
だからむずかしい。
しかし、ともに生きる決心をしている家族には権力関係以上の物がある。

「家族というシェルターそして、欲望を閉じ込める檻」論である。


レストランやスーパーの食事は簡単で美味しいだろうが、誰にとってもおいしい食事である。
競争して作られるその味は私達を魅了する。
そして、生活習慣病と言われる「何種類もの薬を飲みながら、手術を繰り返し、やがて点滴・経管・胃瘻の人生の終わりをが待っているのだ。
あくまで統計的にではあるが(医学の喜ぶエビデンスはない)。


子どもたちが作ってくれた料理は僕にもっと生きろと言ってくれた。
頑張ったねと労ってくれた。
こんな食事は、どこにも売ってはいない。
僕はこの食事を一生忘れない。
まだ僕の道は終わってはいない。

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父と暮らす:91歳の誕生日に廊下で倒れていた。(4)逝去 2020/2/27〜2020/3/8 訪問入浴に感謝、介護の仕事の大変さを知った。そして感謝の気持でいっぱいだ。

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この記事の続き

一ヶ月の寝たきりのあとで、父は亡くなった。

施設にお願いすること無く、自宅で最後を迎えられた。背骨の圧迫骨折は治る(寛解してその状態で生きる=機能は戻らない)こともあるが、父は無理だった。91歳である。
毎日食事を作り、下の世話をして最後の時を過ごした。亡くなる一週間前に、起きて歩こうとして(随分回復してきたがそれが悪かった)転倒した。その後すっかり食べれなくなった。「輸液・経管・胃瘻」を何度も考えたが、延命治療でしか無い事は分かってた。父は尊厳死を望んでいた。
毎日食事を作り話をした。最初はおむつを恥ずかしがったが、最後には何も気にしないで、「済まないなあ」と言ってくれた。
できるだけ食べれるものを用意したのだが、徐々に食べなくなり眠っている時間が多くなっていった。
亡くなる前日に介護ベッドの背を上げて庭を見せた。「三作さんの作ってくれた庭だよ」と話したら僕の目を見てニッコリ笑ってくれた。それが最後のお別れになった。

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老人の死亡原因の一番は「骨折」である。

高齢者の死因は「心疾患・肺炎」と言われるが、僕の周りで見聞きした人たちは、骨折や股関節の脱臼などで自分で動けなくなり、病院や施設に入り、亡くなっている。

自分で動ける間は「トイレ」に行けるので、介護と言っても、食事作りとトイレ掃除、風呂と洗濯くらいである(それでも大変なのだが)何とか自宅で暮らしてもらえる。
しかし、動けなくなると、そうは行かない。
そして自分の30年後なのだ(生きていたとしではあるが)。
何とかピンピンコロリの人生を送れる食事を見つけたい。
改めてそう思った。

一旦ベッドから自力で起きれなく成るととにかく辛い。トイレも行けないからオシメをすることに成るし、風呂も入れない。オシメでいいんだよと言っても、立ってトイレに行きたがるし、尿瓶にするときに漏れることも多い。
シーツを変え、下着を替えるときにも痛みを訴える。大変な一ヶ月だった。介護の仕事の大変さとを知った。そして感謝の気持でいっぱいだ。

大事なことは、自分の未来なのだ。誰でも年を取ればそうなるのだ。
家族の死を通じて、生命を知るのだ。
介護制度のなかった時代を考えればいい。とは言っても、すでに想像すらむずかしい。

身近な人達の亡くなり方を見ると、多くの場合自力で生活することができなくなって施設にお願いすることになり、それから長く生きた後に死ぬ。医療はどんな事をしても生かすことしか考えない。
今の社会は、多くの人は時間を売ってはたらく。僕は会社の経営者(笑)なので、寝たきりになった父にほぼついて入れた(それでも、隣で寝てればよかったと思う、3/1の転倒は僕のせいだ)。
一緒に暮らすということが介護の意味だと思う。しかし、それは時間を売って賃金を得ている人には無理だ。
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50年前の社会は「家庭=企業(農家や小さな商店)」だった。そして家族が社員で、老人を看取っていた。
しかし、グローバリズムは社会の仕組みを根底からかえた。そしてその事が良し悪しではない。
私達は孤独の中で施設で死ぬ運命なのだ。

家族が「施設・病院」で死ぬことは、自分が死ぬ運命であることを学ぶ機会を失わせる。





この頃はまだ固形物を食べれていた。色々と作っては何とか食べてもらおうとしていた。
おにぎりを好んで食べているので、柔らかい肉なども用意した。
立って歩いてトイレにいくという。数時間おきに行ってはトイレに連れて行く。

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尿瓶で、おしっこをした量を確認する。量に差がある。麦茶とジュース(市販品)を用意するがジュースを好む。徐々に背骨の痛みが減ってきているようだった。
横に向いてから体を立てるようになってきた。そして僕がいない所で立って転倒したのだ。
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病院に連れて行った。今でも、このときの通院は止めておくべきだったのかなと思う。そんな事を考えても仕方がないことなのだが、父の場合は安静にしておく以外に治療などないのだから。
コルセットも、むずがってつけようとしなかった。付けても、つ日に行くと外しているのである。

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尿瓶にするが、外すことも多くなってきた。腰回りにバスタオルを敷く。電気毛布で蒸されて随分匂いが強い。
自分で建てなくなったきているので、シーツを替えるのも大変だ。本人は何もしないでくれという。しかししないわけには行かない。
おしめを替えるが、もう大便は出ていない。ポタージュやフレッシュジュースを飲んでもらおうとするが、少し口をつけただけで飲もうとしない。

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前からお願いしていた訪問入浴である。髭を剃り、体を洗ってもらい、気持ちよくきれいな布団で寝かせることができた。
3/8の夕方に最後の会話そして父は眠った。

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3/9のAM1時に父の様子を見に行った。玄関を開けたときに静かだったので、逝去したことがすぐに分かった。

妻を起こして、救急車・警察を呼び、落ち着いたのは朝の9時過ぎだった。
朝4時に遠くの大学に行っている息子に連絡した。夕方には帰ってきてくれた。葬儀屋さんとお寺に連絡をした。

葬儀場に一人でおくのは可愛そうだったので、仏間に安置しで通夜(宗教的には非公式=お寺様を呼ばない)をした。
にぎやかなのが好きな父だった。時折、ゲームもした。
家族4人で、いろいろなゲームをした。麻雀(皆ルールがわからない)をして過ごした。
父は麻雀が好きだった。

翌日には荼毘に付して、一晩お骨をおいて、式場でお寺様に来ていただいて家族4人で葬儀をした。

この地域では、通夜のあとで荼毘に付して、その後で葬儀を行う。結構珍しい手順だ。もう少し北に行くと「通夜ー葬儀ー荼毘」の順になっていたりする。

葬儀場の担当のHさんのお父さんが、父と同じ会社に勤めていた方だと知った。
そしてその方は、僕が工場で働いていたときの親方だった。みんなに慕われた方で、もう数年前になくなっていた。

父は50年この会社で働いた。父の会社の人には伝えなかった(誰とも音信がなかった)。
総務の責任者としては、会社が倒産させられた事を悔やんでいたのか一切会社時代のOBとの接触を絶っていた。
息子の僕が労組の委員長だったからと言うことも有ったのかもしれない。

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東京から帰ってきて、いくつか職を変えながら、居場所が見つからずに、どうしていいのかわからない僕を、父は見捨てないでくれた。

父の遺品の中に労組時代の書類(僕が作って全社に配布したもの)がまとまっていて、お驚いた。
あの頃、父とは一切この事(労働争議)に関して話をしなかった。
倒産が決まり、静かに社員をそこまで働かせたかった経営者にとっては僕は邪魔だったろう。

どんな気持ちだったのだろうか?

翌週にHさんのご自宅にお邪魔して御焼香さし上げた。
お元気なお母さんにHさんの思い出を話した。
縁というのは思わぬ所で繋がっているものだ。


皆終わってから知らせるべき方々にはお知らせした。お参りいただいて嬉しかった。

みんな酒持ってきてくれた(笑)。
四十九日まで少しずつ飲んでいくことにした。
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父はタバコが好きだった。寝タバコをしているのを見つけて買ってあったタバコを渡さないで辞めてもらった。最後の喧嘩であった。
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最後まで我慢してもらった。買ったまま残っているタバコを灰にしている。我慢させてごめんね。
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父の遺言を実施して、庭の整理をしている間に1ヶ月がたった。
酒の量が増えすぎたが、少し減ってきている。
仕事もしなければならない。






介護の仕事についている方々にお礼をいいたい。
介護というのは、最後が「死」である。毎日向き合う仕事なのだ。
大変つらい仕事だと思う。


父の場合は、倒れてすぐに市役所に介護認定をお願いした。隣に僕がいて、自分で一日過ごせるのでケアサービスは必要なかった。
寝たきりになったら、僕が出張でいないときにはどうにもならないのでショートステイをお願いすることに成るかと思った。
づい分昔から介護のお仕事押している知り合いの会社に頼んで、ケアマネージャーに色々と手配してもらった。

介護用のベッドや尿瓶などの機器である。

「訪問入浴」と言うサービスが有ることを聞いて、お願いすることにした。
寝たきりでは入浴もままならない。

3人のスタッフの方がきてくれて大変良かった。


倒れてから1ヶ月、お風呂に入るどころではなかった。介護保険の認定前だったのでお試しでお風呂に入れてもらうことになった。
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お風呂に入る前に看護師が血圧や体温をチェックして入れるかどうかを確認する。

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大きめのバンに給湯器と室内に持ち込めるバスタブが積まれている。

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バスタブを室内に設置して、バンの方に水道をつなげ、排水は風呂場に流す。
父のヒゲを電気かみそり(数日前に僕が買った)で剃ってもらう。

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3人でお風呂に入れる。ゆっくりとお湯に浸かり、一ヶ月の汗を流した。気持ちがいいととても喜んでくれた。

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あがったとで血圧を測り、体調を確認する。

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気持ちが良かったと喜び、眠った。ずーっと入れてあげたかったが、僕では叶わなかった。とても感謝している。



梅が満開であった
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