凄い映画だと思うが、あまりに見るのがつらそうだ。命を燃やして絶望を表現する人たち。

確かに、銃は人を殺さない、人が絶望を表現するために銃を漬かって人を殺す。
自分も含めて。
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子供の自殺に責任はないと逃げる教師、過労死には因果関係がないと言い放つ経営者、そういう連中をっ見るたびになんと無駄死にかと思う。
全く見も知らずの子供を殺したり、放火したり、』全く関係のない「狂人」に殺されるのを見ると心が痛む。
自分が家族だったら耐えられない。

今の社会の問題は、自分の苦悩と「それに対する直接の因果関係」が見つからない事だ。戦いようがない。



「鬱、統合失調症精神疾患」=「狂人」とは、環境に対しての当たり前の反応でしか無い。
私達は自分に理解出来ない行動を見ると病気だと感じるが、「異常な現実」に対しての当たり前の反応でしか無いのだ。
医者は良く効く薬を飯のタネにするが、どんなに薬を飲んでもその尋を追い詰めている「生活」は変わることはない。


「住宅・自動車・教育」ローン、高い家賃、携帯電話、一回上がった生活水準は落とせない。
人生をリセットすることなど出来やしない。

多くの労働者は、「意に反する仕事に」苦しみながら行きている。
人生をやり直すことも、向き合うことも、戦うことも出来ない。
「その仕事で給料もらい生きる」か「破滅してホームレスになる」ほかない。


その反面で、テレビやネットでは「クレイジーリッチ(土地成金・資本家)や小金持ち(経営者とその腰巾着)」を面白おかしくもてはやす。
ちなみに、大学教授などのインテリは、遺跡時代の先生学者と同じでは「腰巾着」の最たるものだ。
クメール・ルージュで虐殺されたのは制度を維持する側の連中だからだ。




犯人がいかに狂人に見えても、その人の(異常な)人生を知れば、狂ったようになるのも当たり前だと感じるだろう。
だから犯罪の報道は、犯人の苦痛を掘り下げることはない。




教育制度(+試験制度)は、公平に人を評価しているという。
そのために、「貧困・孤独」を自分の責任だと自分自身さえも思ってしまう。
しかし、一旦就職となると、「試験」は本質を見せる。

科挙の時代から何ら変わりはない。結局はコネなのだ。


「自分のなりたいものになれる」といえば聞こえは良いが、「(家賃収入や株式の配当で)ブラブラ遊びの大金持ち」や「大企業の経営者やそいつらのお気に入り」にはなれやしない。


そして経営者は、お気に入りを側近に取り立てて良い給料を与える。どの会社でも社長秘書は美人揃いだ。


その給料は、それ以外の人たちの給料を「コスト」と診てカットすることで生まれる。

仕入れを一円でも安くするように「ディール」するが、その商品の売上は、作っていると他の給料だ。


海外に生産拠点を移すことが立派なことだと胸を張るが、それは国内の人たちの失業に裏打ちされた経営者の「傲慢」だ。

そしてそういう腐った輩(経営者)を「株主」はご褒美をやる。労働者を自分の給料のための部品としか診ていない連中は人非人である代償に良い給料をもらう。
これを「ゴーン現象」とと呼ぶ。

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テレビでは、「勝ち組・負け組」とこの構造的な「格差」を笑い者にする。

SNSでは金持ちが「クレージリッチ自慢」で忙しい。


けどね、お前たちの「リッチ」はオレたちの時給を700円にして、会社の社員の大変を非正規雇用にしたおかげだ。
なんdそんな事に気が付かないのだろうか?



かつては、購買(なにかものを買う)とそのお金が企業の利益に繋がり、税金となり、その税金を消費者に還元していた。
その利益が労働者の給料の元であった。
そして、労働者に十分な生活を保証して、その後で経営者は自分の給料をきめた。



この80年で経営者と労働者は全く異なった「階級」になってしまった。
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テロには2種類ある。
ビジネスとしてのテロと、自分の苦悩を表現するためのテロである。
なぜアメリカで縦覧者が止まらなかと言うと、必ず犯人が殺されるからである(多くの場合)。

ビジネスとしてのテロは、社会不安は「株式や先物市場」という様々な利益を生む投機の変動要因だからである。
つまり、テロは投機を通じてビジネスになっているのだ。
ジブ自殺者自身を苦しめている社会は、ますますリッチな人々を生む。

テロを画策して自殺者を送り込む輩はますます「クレーじリッチ」になっていく。
まるで「ヤクザの幹部」と鉄砲玉のようである。



こういう格差社会は「テロ」で滅びる。
過去の多くの遺跡が物語る。
「共に生きるべき人々」を道具としてしか見れなくなると「絶望を表現するために命を燃やす」ようになる。




社会は変われるだろうか?
選挙の帳票リハは下がり続けている。
社会が自分で公平さ社会に変われなくなっていることを表している。


政治は社会を映す鏡でしか無い。
政権おトップが「自分ファースト」と「ディール」を喧伝する。
「ディール」とは、もっと安くしないとほかから仕入れるぞと言う脅迫にしか過ぎない。
「頑張って共に生きよう」という意識とは全く違う。
誰のおかげで自分の給料が出ているかわかっているのだろうか?
オートメーションやAIはますます「格差の根源」を見えなくする。
かつては、労働者が製品を作り、その製品を買うことで豊かになっていった。


上(利益の配分を決めるコミュニティのキング)が変わらなければ、社会は変わらない。
絶望の綱渡りをしているのは、負け組だけではない、一見勝ち組に見えている「小金持ち(部長や課長、テレビに司会者)」も多めに金をもらっている奴隷にしか過ぎない。
平の社員や、毎日電話するテレアポ、飛び込み営業の人たち、ひな壇に並ぶ芸人、一発屋と呼ばれる方々、思い切り搾り取られている奴隷である。
かつての階級(奴隷)は「法律」で規定されていた。
賢い連中は、自分から進んで奴隷になっている社会を作り出したのだ。




絶望的である。

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この映画も見たいが、怖い。
僕はジャック・ブラック大好き。
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梅干しを漬けて、キューバサンド風作って、餃子を焼いた。
有意義な休日であった。

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忙しいのか良く分からないが動画三昧である。