絶望を表現する人たち(5) 民主主義というのはより良い理想的な未来をみんなで作るための「選択」だと思っていると大間違いだ。

チマチマと後片付けをして仮眠して起きた。
選挙結果のニュースを見て、またかと思う。

民主主義というのはより良い理想的な未来をみんなで作るための「選択」だと思っていると大間違いだ。

「お前が選んだんことだろ」と多くの人間に「踏みにじられている事」を納得させる為の制度なのだ。
「民主主義」はギリシャンで生まれた当時から、裕福な支配層がいかに奴隷から搾取した「財」を分配するかというプロセスでしかない。
今の状況を嘆くことはない。

これこそが、まさに正統的な「民主主義」であり「奴隷制度」なのだ。


どうあがいても、理屈に合わない「自己責任」と言う名前で「格差」を押し付ける。

しかし、格差がなければ富裕層は存在しない。
そしてこのクレージーリッチ達は、1980年以降に生まれた。
選挙に行かないお前が悪い、政治的無関心が悪いと制度-運用の「おかしさ」には議論が行かない。

しかし、安心するが良い、こういう社会は「テロで滅びる」。

「共通の価値」を信じたところで、「自分には何の未来もないという絶望」する人間が多くなれば、その価値は意味を持たない。

投票率の低下と、テロの増加には相関関係がある。
セレブの人口比率とも相関関係があるだろう。
経営者が贅沢な車を自分へのご褒美と買った話を読んで、その金は自分のために働いた人間への報酬をミニマム化したから生まれるのだ。

「共に生きる」という信仰ではなく、「自分は優秀だから給料は高い」と言う信仰の方が嬉しい。
しかし、自分ひとりでなにか出来る訳じゃない。

絶望を命を燃やして表現するのがテロである。

命を捨てて絶望を表現するところまで追い詰めるような社会である。
決して許されはしないが、それは世界に生き残ったならばである。

アメリカでは協会で銃を乱射する、銃を持たない国でも人は殺される。
「通り魔」は既に死人なのだ。他人を踏みにじる社会に自分の絶望を表現する。
お前が貧困なのは「成績の悪い」自分のせいだと「学校制度」は自己責任を振りかざす。
こどもの自殺は心痛む。被害者がいないだけに辛い。しかし、死を選ぶのは自己責任だと、ここでもサイコパスは嘲笑う。

こうなった社会はテロで滅びるのだ。
多くの遺跡は語っている。
よく出来たものだ。

masaya50.hatenadiary.jp
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