「宗教なき時代の政治学」(4)移民問題の深層を考える。奴隷生産の隠蔽と効率化。少子化対策を嗤う。

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移民問題をどう捉えるかというのは大変難しい。


生活習慣病は本来アウトソーシングできない様々な事を、(分解して)サービスとして捉え「市場化」して価格の安い提供先に外注するから起こると考えている。

「教育、医療、介護、食事」がサービスとして捉えられ、市場化されている事に問題を見ている。
そしてここには「子育」も入れる事ができる(入れるべきだ)。


移民問題を「子育ての外注化」と考えるとどうだろうか?


もっと、嫌な表現を探せば「奴隷の外注化」である。

今の奴隷制度は出生・肌の色のような身体的特徴で身分(社会的階層)を固定しない。能力(自己責任)で身分を決めるのである。


学校に行って、やがて卒業して資格を取って企業に入る。そこでも試験されながら昇給と企業内での権力を受ける。やがて孤独の中に死ぬのである。



子育ては大変な時間と労力がかかる。旅行もいけないし、オムツも替えてやらなければならない、食べ物も作って食べさせてアラなかればならない。人生の楽しみを犠牲にしなければならない。そして子供が大きくなっても、自分に同じ事をしてくれはしない。介護施設で赤の他人にしてもらう事になる。そんなんだったら無理に苦労する事はない。ましてや子供が大金持ちになって老後を支えてくれることもない(奴隷の子供は奴隷...かぐや姫願望である。)ならば産んでも仕方がない。産んで産休を取ったら給料が下がるから生活もできない。だったら、移民を安く使えば良い。貧乏人は不法移民を使い、少し金があったらもうちょっと値段の高い世紀移民を使えば良い。ただし、自分より金持ち(待遇の良い移民)になるのは許さない。



しかし、これを特別な事と考えてはならない。

私たちは「関係性における奴隷制度」を常に維持してきたのである。「家」である。韓国の社会を「儒教」が人々を支配している後進的な社会と捉えたいと思うだろうが、私たちの社会も大差ない。



子育てというのは「「社会の中での奴隷」の生産」と考える事ができる。
誰も、自分の子供に「主人」になってもらいたくはない。
いつまでも子供を自分の召使にしたいのである。
そしてこれは太古の昔からの関係性なのである。

しかし、グローバリズムはその家(=企業)という関係性を外注化したのだ。
かつては大金もちの特権だった親子の断絶も、(自衛する過程という企業を失った為に)今や貧乏人にまでも購入できる商品となったのだ。

そして、グローバリズムは社会の不公平を構造化したのだ。


「新奴隷主義」の確立である。

新奴隷主義では奴隷同士は共感を持たない。
互いに他の奴隷を自分の格下と考える。
賃金という尺度で上下を決めて、下の下には下がいるからまさに多階層社会である。玉ネギの薄皮の様に人々は分断されそこから抜け出す事はできない。抜け出せるのはわずかなラッキーボーイとかぐや姫だけである。
そのために、階層に属している奴隷達が協力する事はない。
なにせ、蜘蛛の糸にすがりついている人間は少ない方が良い。支配者が飴を投げてくれるのは自分までかもしれない。

20年前、僕は労働組合の委員長としてストライキを打った
組合員には絶対に考えを明かさないで(ストライキなどしないと言って)スト権確立を行った。
もし、バレたら、組合員は経営者にご注進して、ご褒美をもらいたがったであろう。
80人いた組合員のうち20人は縮小した部門に残れたのである。
そして確立した翌日、日本中の自動車メータの80%を作っている長岡にある日本精機という会社にうちから製品が納入されなくなると話に行った。
損害額は300億円とも600億円とも試算されたそうだ。
1億3千万くらい安いものだった。
そして、親会社から金を受け取った後で分配は僕に任せられた。
素案を作り、みんなと話し合ったが、満足する社員はいない。
ひどく中傷され、僕はボロボロになった。英雄が裏切り者になったのである。会社が消えた後、地元で僕を雇う会社はなかった。


社会の問題とは思わない。自分の能力の無さと思う。そう思わなかったら生まれの悪さを嘆く。努力する奴隷を敵視する。
自分の中にこそ問題の本質はある。






まあ、あまり深刻に考える事はない。
不公平があまりに激しくなると、社会は耐えられなくなる。

アメリカでテロがなぜ起こるかを考えれば良い。
銃が多いからではない。

「クソみたいな人生を、自己責任として扱われる時」自分をそんな風に扱った社会に報復を企てるのである。



政治的適正表現として「奴隷」は忌み嫌われる。「能力主義」はベリーグッドである。
しかし、経営者と社員の給料の格差の隔たりには疑問を感じないものはいない。





まあいい、いずれ連中も認知症になり、自分が誰かもわからないままにクソにまみれて孤独に死ぬのだ。
「ゴーン ウイズ シット」である(お、時事ネタだね)。





僕は、最後の言葉は「バラのつぼみ」って決めているんだ。





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2018-08-02 生産性のあるセックス、ないセックス LGBTQの問題を巡って(1)

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それでも僕らは人を愛して、子供を生み、育て、命を捨てても子供を守る。それが面白い。
僕にはテロで命を捨てる他の道を見つめることしか出来なくなった親の瞳の奥に何があるのかを想像すると涙が止まらない。僕自身、2015年1月以来、何度死のうと考えただろうか。自殺は逃避ではない。



この命などいつ捨てても惜しくはないのだ。たかだか「小さな生命のコロニー」に過ぎない。



テロの根源は私たちが人間であるという事に由来するのだ。
そして最後はやっぱりマイクロバイオームなのだ。



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