『幸運な病のスタディ』(22) 生活習慣病の起源 80年間で社会は大きく変わった

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生活習慣病の秘密】

医学が「生活習慣病と呼んで言う疾病」は検査値の異常で発見されます。
そして、症状(実際の身体への影響)がないために、恐ろしいのは(数年から数十年後に現れる)合併症だと言われます。
しかし、僕には、「生活習慣病と呼んで言う疾病」は単なるマーカーでしかないとしか思えません。

何らかの「本質的なトラブル」が身体を襲っていて、初期のうちは、「マーカー」として身体に現れるのです。
先のスタディで、「因果関係と相関関係」についてのお話をしました。
検査値の異常は原因ではなく、結果の一つの現われなのです。


だから、(「糖尿病と痛風痛風と高血圧」のように)併発する場合も、合併症の出方が様々に出ることも理解できます。
糖尿病の患者が、複数の合併症(脳梗塞と眼底網膜症)を併発する場合をお考えください。いずれの合併症(この表現はおかしいのですが)も意表をついて起こるのです。検査値をいくら薬で落としても生活習慣病は減ることはありません。問題が解決しないのは対策が間違えているからなのです。


その共通の原因は「食事」なのです。

私は、この食事を原因とする災厄を「全身」か「臓器や組織に起こる」か、「治療する薬や手術の有無」の2つのベクトルで4つに分類しました。
昨今の膠原病や難病、症状の軽減は出来るが完治のない病です。「ガン」は特別で、この4つの分類のどこにでも入れておかしくないのです。


感染症・単純な症状を生む欠乏症」に勝利した医学も、これら災厄に歯が立たないのです。


つまり、生活習慣病は「特定の敵」でもなければ「特定の物質の欠乏症」でもないのです。
一人一人にマッチした食事を失ったことが原因なのです。
そしてなぜ失ったのかを考えていくと「社会の変化」にたどり着きます。





生活習慣病を生んだ80年間】

1940年、今から80年前、父が小学生だった頃の写真です。母も同じくらいの年代です。
経済が狭い地域で閉じられていた時代でした。

歩いていける範囲に「農家、卸、商店、八百屋、肉屋、魚屋、豆腐屋、大工」があり、僅かな地場産業がありました。

しかし、現在のような運送手段はありませんでした。鉄道ぐらいが地域と地域を結ぶ運送手段でした。
大型の物を運ぶには適していましたが、生鮮品を運ぶには適していませんでした。
母の実家は簞笥屋で、北海道まで鉄道で売りに行ったと言います。父の実家は海産物の卸をしていました。塩漬けの魚や筋子が大きな樽で運ばれてきたということです。軍隊(新発田には陸軍が駐屯していました)に梅干しを納品したりしたと言います。


家が「企業(生産の場)」であり、「消費の場」でもあったのです。
お店に完成された食べ物は売っていませんでした。
食べ物は三食全て家庭で母や祖母が作っていました。
企業であった家は、三世代が同居してたのです。
親は会社の上役で、子供は新入社員で、子供の躾はOJT(家業の職業訓練)だったのです。

そして、この時代は「感染症」と「単純な欠乏症」が人の命を奪っていました。
やがて、医学はこの2つの病に勝利して、広びとの「権威」となっていっきました。

母の姉は結核でなくなりました(ストレプトマイシンの発売される直前に手術をして上手く行かずに睡眠薬を飲んで自殺します)。母方の祖母は肋骨カリエス結核菌が肋骨の間で発症する)でした。父の一番上の兄はオート三輪の事故で亡くなります。私自身、3歳の頃「イキリ(と母は言っていました)」と呼ばれる感染症で死にかけています(8人入院して7人死んだ)。まさに死が身近にあった時代だったのです。


【地域企業の発展】

ビジネスに自動車が使われるようになります。商品の運送を細かく行うことが出来始めます。
それに従って、地域で販売力のある「家族」が社員を雇う事ができ始めます。
自分のところで作った商品を、運ぶ手段が出来ることで、広い範囲での販売が可能になります。
それが、グローバリズムの始まりです。多く売れることで利益は格段に大きくなり、製造手段への再投資が始まります。
父の実家では、天ぷらなどのお惣菜を作り、福島の市場まで売りに行ったそうです。徐々にスーパーと言われるような小売店の形態(八百屋・魚屋・肉屋+パック売り+自分でパックを選んで買う<ー>測り売りではない)が始めってきます。しかし、まだ、スーパーでは「商品としての食事」は売られていませんでした。

グローバリズムとは流通のシステムなのです。
この後に、「家族経営」が崩壊して、食事を購入したいというニーズが、「食事という商品」を生み出します。


この時代の地域企業は色濃く「家族経営」を模しています。
終身雇用、経営者と従業員の間の忠誠関係、いずれも昨今の企業では失われた関係が残っていました。

「利益」ではなく、「共生」することに重きが置かれていたと言えるかもしれません。

上司も部下も、会社に通勤するのも自転車でした。
引退後も、近所付き合いする関係でもあったからです。
伸びやかで、企業が地域のコミュニティを形成していた時代です。

やがて高度経済成長が社会全体を大きく変化させていきます。




【グローバル企業の進出】

やがて、地域企業は大きくなっていき、経営と事業主体が別れていきます。
「経営=株主」が会社の資産を所有します。商品を実際に生み出す場所と分離されていきます。
従業員は単に時間で労働力を提供する関係になります。販売の利益は「経営=株主」が独占します。

最小のコストを求める経営=株主は事業主体を海外に移したり、国内でもアドバンテージの高い地域に移転させます。
商品が売れなくなったら即閉鎖されるようになります。

かつての家族経営とは全く異なったルールで動いているのが「グローバル企業」なのです。

従業員は、切り離された個人として生きることになるのです。
「家」が失われることで「家」が担っていた多くの役割が外注化さていかざるを得ませんでした。

「教育、介護、医療、食事、政治、自己防衛、トラブルの解決、生と死」自分たちで担っていた事が「行政」や「利益を追求する企業」に委託され始めるのです。

「教育->学校、介護->施設、医療->医師、食事->スーパー・コンビニ・飲食店、政治->政治家、自己防衛ー>警察、トラブルの解決->ヤクザ、生と死->病院」家庭、地域といったコミュニティはは多彩な役割を担っっていました。



【地域コミュニティ・「家」の消失】

1980年代には多くのメルクマールを見ることが出来ます。
大店法の成立と廃止、「地産地消」と言うスローガン、コンビニという流通システムの確立、これらの出来事は、今までの社会が大きく変わっていったことを意味しています。


僕は、1980年前後に後戻りできない変化が生まれたと考えています。
そしてそれは誰の責任でもありません。
私達の求めていたものだったのです。


【食事という商品、家からの開放】

食事という商品には大きな特徴があります。
炭水化物が中心にあるのです。
炭水化物には、誰もが抗えない魅力を持っています。
「家」は厳しく嗜好品を禁じていました。まさに私達は、この禁じられたものを自由に食べることを許されたのです。



1960年台から、フェミニズムの潮流が社会現象となります。
シャドウ・ワークと言われる分析は、女性の労働を市場での価格に換算することが可能だと考えました。
しかし、それらの分析では見えていないかったものがあるのです。


父の一番年長の兄が交通事故で亡くなった時に子供は2歳でした。奥さんは、次男と結婚して家に残ります。「直す」といって一般的に行われていたことだと母に聞きました。
父は、その当時次男の付き合っていた女性に「直す」事になったから別れてくれと言いに行ったそうです。その女性はその後、家族ごと姿を消したそうです。父の実家は新発田でも大きな地主の末裔での分家だったと聞きます。その地主様も随分昔に離散したと聞いています。



家というシェルターは個人を守りながら縛っていたのです。

「直す」などということは、今の私達からしたら信じられない事です。
しかし、家を「企業」として考えてみれば、社長が亡くなったからと言って、総務財務部長(=奥さん)に出ていかれたら倒産です。



【TVドラマや映画から時代を覗く】

この時期のTVドラマや映画を見ると、なかなか面白いことがわかります。
「家」が消えてしまい、その次代へのノスタルジアを見ることが出来ます。
マザーコンプレックスというのも、母が「経理・総務部長」だったのなら当たり前です。
僕は、2016年に母と死別していかに母が僕を支配していたか知りました。
そしてその喪失は計り知れないものでした。

2本の映画に僕は同じ問題意識を感じています。
僕らのミライへ逆回転
ヴィンセントが教えてくれたこと

地域コミュニティをどう考えるべきか、家族というつながりはどの様な形で蘇るのか。
考えるべきことは多く、まだまだチャレンジすべきことを見つけていけるはずです。


【自分自身・家族に最適な食事】

僕は、今の時代の中で、一人ひとりに最適な食事を作ることが可能かどうかを実験しています。

毎日、素材から食事を作っています。
嗜好品(炭水化物)は食べないで食事を組み立てることが可能か挑戦しているのです。
おそらく50代位からは細胞(やマイクロバイオーム)の死ぬ数が多くなります。
炭水化物は美味しすぎるので「必須の食事」を追い出してしまうのです。


そして自分にとって「必須の食事」とは何かということは「権威」に決めてもらうべきことではありません。

そもそも、問診も診察もしないで僕に何が必要かなどということを決めることが出来るのでしょうか?TVの健康番組を見るといつも感じます。父母や家族の中にどんな傾向があるかとか、毎日の生活、食事を聞きもしないで、検査値に対応した文言をマニュアル通りに話す事になにか意味があるのでしょうか?


【そして目標はピンピンコロリ】

自分の体が衰えて、未練が無くなった時。

人様の厄介にならず、痛くなく、苦しまないで眠っている間にあの世に逝きたい。


食事でこんな人生の最後を迎えたい。


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付録:生活習慣病の4分類

1-a)全身のトラブル+検査値(=マーカー)を下げる薬がある、症状=自覚がない
高尿酸(痛風)・高血糖(糖尿病)・高血圧・高中性脂肪・高コルステロール


1-b)特定臓器・組織のトラブル 、症状がある 軽減する薬がある
対策はあるが破壊的治療 合併症と呼ばれる
眼底網膜症・腎不全・末梢神経障害・脳梗塞心不全心筋梗塞狭心症動脈硬化


2-b)特定臓器・組織のトラブル 、対策はあるが、症状がある 軽減する薬がある 治さない(治療に終わりがない)
骨粗鬆症リュウマチアトピー・皮膚炎・関節炎・バセドウ・橋本病パーキンソン・アルツハイマー認知症うつ病


2-a)全身のトラブル 治療薬・対策なし 膠原病・難治性疾患(130種類)
リウマチ熱、関節リウマチ、結節性多発動脈炎、全身性エリテマトーデス、全身性強皮症、皮膚筋炎

1型糖尿病膵臓の機能が完全に停止している。自己免疫疾患が原因なので生活習慣病と考えないほうがリーズナブルである。
本論では、その人の状況にあった食事を失った事、「商品化された食事」には問題が多いことを論じているので1型と2型の問題に関してはこちらをご覧ください。



ビル・マーレー演ずるヴィンセントは、長い人生の終わりに新たなシェルターを見つける。



もうひとつの人生で血反吐を吐く思いをしてるとき
黒いの美しく、道は泥まみれだったんだ
俺が荒野から見えない何かから逃げてきたとき
「さぁおいで」と彼女は言ったんだ
「ここは嵐からの隠れ場所よ」



この道を再び行けば安堵して休めるさ
いつでも彼女の為に最善を尽くそう、そう決めたんだ
冷酷な目つきになるような死の世界で戦う男たちに
「さぁおいで」と彼女は言ったんだ
「ここは嵐からの隠れ場所よ」



俺たちには会話がなかったけど、問題は無かったんだ
そういう点ではあらゆるものが未解決だったんだ
想像してごらん、いつでも安心できて暖かい場所を
「さぁおいで」と彼女は言ったんだ
「ここは嵐からの隠れ場所よ」

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’Twas in another lifetime, one of toil and blood
When blackness was a virtue and the road was full of mud
I came in from the wilderness, a creature void of form
“Come in,” she said, “I’ll give you shelter from the storm”



And if I pass this way again, you can rest assured
I’ll always do my best for her, on that I give my word
In a world of steel-eyed death, and men who are fighting to be warm
“Come in,” she said, “I’ll give you shelter from the storm”



Not a word was spoke between us, there was little risk involved
Everything up to that point had been left unresolved
Try imagining a place where it’s always safe and warm
“Come in,” she said, “I’ll give you shelter from the storm”

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和訳はこちらから


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