絶望を表現する人たち(2)「銃乱射」「バイトテロ」「刺繍学ラン」「成人式」「騒音おばさん」「DV」

【自分に理解出来ない行為にどう向き合う?】
成人式の季節である。毎年荒ぶる青年の姿がテレビで映されて非常識さを皆で嘆く。

最近、迷惑条例で理解出来ない行為をするおばさんが逮捕されたときく。そういえば、昔「騒音おばさん」と言われるヒトがいた。
母の葬儀の2日後、他人の家に土足で踏み込んで香典をタタキ返して、危うく犯罪を犯すところだった。数カ月後、今度はカエルを殴りつけようとして町内を追い回して警察が来た。まさにテロである。他人から見たらなんでそんなことをするのか理解できないだろう。
そいつらに、母が亡くなった時に、お前の会社は赤字だから潰してもっとまともな会社に努めろと恫喝されたのだ。結果として、父を施設に入れてその土地は売ることになる。
恐ろしく悲しかった、そのクソ野郎達は母が生涯を通じて助けてともに生きてきた。その生き物達は母が死んでしまったらもう何でも良かったのだ。
今でも悪夢を見る。

僕はかつて労働組合の委員長としてストライキ(スト権確立)と商品の出荷停止を恐喝材料にして親会社から1億3千万円を割増金として引っ張り出した。
1930年台のアメリカのストライキに関しての研究を調べた。追い詰められて、スト権は確立できたが用意周到な経営者ならば組合を懐柔して分裂させただろう。
全員解雇と大上段で言い放ったから、僕らは団結できた(まあ、その後は裏切りの連続だったが、あいつらも馬鹿じゃない)。
 

テロについていつも考える。自分自身が破滅しても構わないほどに追い詰められたのである。
 
DVについてもいつも暴力を振るう側を理解できないと非難する。しかし、一見すると事件のように見えるが、それは「関係性」の中で起こっていることなのだ。
そこには、どんな関係性がそこにはあるのだろうか。おそらく妻は毎日のようにチクリチクリと夫に「負け組」とか「結婚して間違いだった」と嘆くのだろう。
夫はいくら頑張っても給料は上がらないし、新入社員(コネや金のある親の子供)はどんどん上に行き顎で使う。
離婚しようにも、カネがない。言われるたびに自分は価値がないと感じざるを得ない。
 
娘に「成人式に晴れ着も着せてやれない」と一言言ったら夫はどう思うだろうか。腸煮えくり返って家族皆殺しも辞することはないだろう。
 
そして、それは夫の責任ではない。社会の問題なのだ。
いくらでも賃金を絞り、貧乏人はどんどん貧乏になり、金持ちはどんどん金持ちになっていく。
自分の能力がないから賃金は安いのだと納得させて、奴隷にして、「抗うつ剤」と「ネットゲーム」つけにする。
社会への不満を自分たちの能力のないせいにする。「自業自得の経済学」とでも言うべきだろうか。
清王朝の阿片窟や戦後のヒロポン覚せい剤)を思い出す。

家庭がシェルターではなく、監獄となり互いを傷つける様に仕向けられているのだ。
分割して統治せよ(Divide and conquer)ずるい奴らは賢い。

いつから、成人式はあんなに醜悪な儀式になったのだろうか?数十万の金がかかった所で、数百万の晴れ着を買うことも何でもないような「勝ち組」にとっては嬉しい日だろう。
 
しかしね、時給1000円行くか行かないかの時間労働をして生活が精一杯の人たちにとっては苦痛でしかないだろう。それでも子供に着せてやりたいと思いぼろぼろになって仕事する。そんな親の姿に自分の未来を重ね合わせた子供が暴れても僕はおかしくないと思う。
 
私達は、成人式で暴れる子供の気持ちもわからないほど鈍感なのだろうか。
成人式で暴れた子どもたちの家庭や将来をしっかりと見つめて共にどうなれば良いのか考えたい。

僕は成人式には出なかった。ちょうど浪人の2年めが決まり、どんな未来が待っているかもわからずに、苦しんでいた。
父母にどれだけつらい思いをさせただろうか。成人式くらい出てほしかっただろうなあ。

今日、娘の(妻から譲り受けた)振袖姿を見て、そんな事をおもった。数十万の金を妻はやりくりしたようである。なかなか複雑である。