幸運な病のレシピ( 1523 )夜:父と飲んだ。

【 2019/9/3の食事 】

お腹が空いて家に来て飯をくうう。
何のことはない毎日の風景である。

美味しい美味しいと皆食べた。
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8月に亡くなると確信していた僕には信じられない光景である。
ベッドの端に座り、食事をとろうとしない父の顔を眺めていた。
どうして良いのか分からなかった。


自分の30年後の死をそこに見ていた。
かつて私達は家族の死を通じて、自分の生を学んでいた。
専門家(医師、病院、介護施設)に「死」を任せることで、その大事な学びの機会を失ったのだ。


専門家(商売人)にとってそこで死にゆく老人はただの汚い年寄である。
毎日直面するから、心は閉ざされてしまう。というか、閉ざさねば接してなどいけないだろう。
あの時僕は辛かった。そんな苦痛が毎日になるなどということは耐えられない。




医学は何も生命をわかっていない。
あの時、フレイルで、もう戻ってこれないと確信していた父が、こんな風に戻ってこれるのだ。




もっと「生きる」ということを学びたい。
どこかの誰かに教えてもらえることではないのだ。
生命の専門家(商売人)などいない。

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食事を終えて、父は帰っていった。
30年後の僕なのだ。



Today is the shadow of tomorrow
明日になれば分かる。




僕は幸せである。
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宴のあと

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10`時過ぎに妻が帰ってきた。

マユが吠えた時僕は寝ていた。父が来たかと思いびっくりして飛び起きた。
妻の食事を用意して、後片付けをした。
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アイスを買って来て少し仕事を始めたつもりですぐにもう一度寝た。
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味噌味のカップ麺は今度食べてみよう。
大体、麺の半分くらいは食べなのだが。
スープの味が変わっているだけとは知っているのであるが、パッケージに惹かれて買ってしまう。

カロリー半分のアイスを買うあたり、ケナゲである。




魚の在庫がない。
8時から半額になったものを買おうと思っていたのであるが飲んで寝ちまっていた。



金はないが、幸せだ。
心、平安である。


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「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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