父の年賀状 2019年正月

母が亡くなって3年になる。
父の元に、年賀状がくる。

母が亡くなった年はどうだったか覚えていないが、昨年はしっかりと返事を書いていた。

今年はどうかなと思った。
昨日食事の後で、どうするか聞いた。

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差出人名や裏面にイラストなどをパソコンで印字しようかと話したが、自分で書くという。
9枚書いたのだが、達者なものである。
ちょうどきっちりの枚数だったので、1枚しくじった分を出さなくとも良いところを選んで出さなかった。
みな自分で判断できて、書いている内容も実にしっかりしている。

母が亡くなった事を知らない相手からは父と母の連名で年賀状が来る。
「ああ、愛子が死んだ事知らないんだ」と寂しそうに呟く。

なんと書いて、年賀状を返すのかなあと思った。

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ああ、こういう風に書くのだなあと思った。
昨年も年賀状は連名で来ていたのだろうが、書いていなかった。
受け取った時の相手のことを考えると、寂寥という言葉を思う。



昨今では、SNSやメールで済ませることも多い。
自分がメールで年賀を送っているとして、死んだ後で誰が自分の死を相手に伝えるのだろうか?

そろそろ、人生から退席する友人もいるだろうなあ。

この時期は、あの人はどうしているだろうかと思うことが多い。

考えることしきりである。





年をとるということは大変である。
物覚えは悪くなり頼んだこともすぐ忘れる。
今までできていたことができなくなる。
そういう状態を「認知症」と呼んで薬飲ませたり施設入れることになる。
それはそういう状況なのだから仕方がない。
僕もきっとそうなるだろう。いま年取っていきつつある方々は皆もれなくそうなるであろう。そういう社会になってしまったのだ。

しかし、父は違う。
そして父を認知症だと断じて、「病気なのだから治療しろ、施設に入れろ、足りない金は実家の土地を売ってしまえ」という輩はいる。

父を認知症だとは思わない。

認知症というのは「関係性の中の病」だからだ。

私たち家族とともにいればなんら問題はない。
もし、僕が自営のソフト会社の経営者でなかったら、こうはいかない。
時間に出勤して遅くまで働いて、給料をもらう仕事だったら、父とともに暮らすことなどできはしない。
僕は幸運だった。

そして、60年前は、卸問屋があり、商店・八百屋・魚屋・豆腐屋・肉屋が歩いて行ける範囲にあり、農家は地元に作物を売り、それが当たり前だった。
運送手段と保存技術がこの社会の様相をすっかり変えてしまう。

いまでは大手スーパーとコンビニと運送屋しかない。




グローバリズムは「家業という独立企業」をおしなべて破壊した。
それぞれに小さな利益を確保していた「家業」を破壊してその収益を数少ないグローバル企業が拾い集めたのがこの80年なのだ。

ペゾスやジョブズ、起業家たちは大金もちになった。その金は湧いて出たわけではない。
かつて、「家業という独立企業」は社会の「食物連鎖」の「ニッチな環境の中」でリサイクルされていた。
そしてグローバル企業は「家業という独立企業」を破壊して「(それぞれの企業の中に存在していた)わずかな利益」を吸い上げたのである。
そのわずかな利益からそれぞれの「家庭=家業=企業」は「教育・医療・食事・介護」を行ってきた。

そして、社会のエコシステムの変化は、環境を破壊する。

小さな輪で閉じて循環していた経済(市場)社会が大きな輪で循環するようになったのだ。
その原動力はおそらく「保存+運送手段のローコスト化」+「(私たちの内部にある)収益を大きくしたいという欲望」にある。
グローバリズムというのは、町内だけで売れていた豆腐の値段を下げて町中で売れるようにする企業努力となんら変わりない。
収益を上げるための一番の方法は、人より長く働く事である。
ブラックな企業とは、長時間の労働に支えられる高収益化である。
「家業という企業」の場合は多く働けば、その見返りは(時給商売の)サラミリーマンの比ではない。

生活者で生産者だった人々は、時間で労働を得る「従順な消費者」になり「生活をアウトソーシング」する他なかったのだ。

つまり認知症は。社会が生んだ病なのだ。

しかし、大金持ちとなった企業の経営者も、いずれは「ゴーン ウイズ シット」である。
人生は不平等だが、マイクロバイオームは平等に生命をリサイクルする。
次の本の主題である。




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「家族というシェルター」をアウトソーシング(外注化=サービスとして金銭的に評価)したものが「介護施設」であり「訪問診療」である。
しかし、それは、外見をなぞっただけである。
もっと変わるべきではないか?
問題はどう変われば良いかわからないところである。




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実家に食事を持っていた時は、食後に皿を洗うし、新聞は縛って出す。
父は、自分でしてきたことを当たり前に思い、当たり前にする。

ある日突然自分でいままでしてきたことがダメだと否定される。
これは恐ろしいことだろうなあ。

自分が30年後にどうなっているかいつも考える。

父と暮らすことで自分の死を見つめる。
宗教には意味がある。

そして、自分に理解できない存在を排除して隔離する社会は、その気づきを奪っていく。
僕も、わずかな時間ではあるが、父母と暮らした。
大事なことを教えてもらった。


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食事を作り、父の家の掃除をする。
今年は、隙間風が入らないように窓を内側から目張りした。
半日かかったが、十分効果がある。
ああ、母が存命の時にしてあげればよかった。
何かするたびに、目を丸くして喜んだた母のことを思い出す。


命日に、花を買って行こうか悩んだが、庭の椿を持って行こうと思う。
まだ蕾だが、数日後には花になるかと思う。
年末にサザンカが咲いていたので仏前に手向けた。
人は思い出の中に生きる。
まだ僕には母の死が辛い。






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