「ドッグフード症候群」(2):独立して生きる「細胞」から見た栄養学。人も犬も細胞のレベルで見たら、なにも変わりない。マイクロバイオームのコロニーとしての生命観。

定義:ドッグフードというのは、商品化された食事である。
特に犬に与える「餌」を指すわけではない。

我が家のドッグフードである。
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商品化された食事は、利益を出すために「長期保存」が可能でなければならない。
商品であるのだから「競合」に勝たなければならない。
誰もが大好きでなければならない。
満腹のためのコストが安くなければならない。


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具体的には、米、パスタ、蕎麦、うどん、パンといった、穀物由来の乾燥工程を通じた食品である。
後片付けがかんたんでなければならない。



医学的に健康になることが保証されていなければならない。
しかし、その保証は守られることはなく、ガンや認知症、循環器系に様々な疾病への恐怖はなくなることはない。

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そして、社会の隅々まで、この問題は満ちている。
栄養士の増加に合わせるように生活習慣病は増えているのだ。
栄養士が悪いのではない。
食事行政(教育、給食、病院、刑務所、介護施設)が政治的な公正さを求められ、「政治的に正しい栄養学」に従ったものとならざるをえないから起こっている。

命を守る行動」を僕はしている。

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ドッグフードのような食事、それは私達が家庭で食事を作れなくなった所で生まれた。
そして、ペットにも人にも同じ様に生活習慣病とそれに続く災厄を生んでいる。


死ぬまでの10年間を「管で繋がれ(点滴)」て、数十種類の薬飲んで生きる。
健康の意味も忘れ、高度医療を礼賛し、医療の侵襲と苦しみを喜び鎮痛剤の恍惚の中に死ぬのだ。


老人の言葉は誰も耳を貸さないから、自分がその時にならなければ気が付かない。
そして気がついた時には病室の中で叫び声は誰にも届かない。

僕は、母と暮らし、母の食事を作ることで様々なことを学んさ。
今は父と暮らしている。
毎日食事をt来る、そして学ぶ。
自分の30年後を知るのだ。生きていないかもしれないが、誰かに伝えたい。
多くのひとが知ることで社会は変わる。


自分のことと感じることができれば、その事自身が社会の変化である。


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続きます...........