幸運な病のレシピ( 2570 )夜 :マダラ子の煮付け、汁、マユのご飯

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【 2021/2/16の食事 】
マダラの子は母の味だ。小さい頃も少しは食べただろうが、母が料理を作れなくなってからよく作った。
味を教えてもらい、作った。
そして僕にとっても美味しい味になっていく。
お店で売っているだろうが、その味は大量生産の味である。料亭ではあるかもしれないが、毎日食べるようなものを量多く出すことはない(食材の値段が安いから「高額の膳」にならない)。

料理は専門家に任せればいいという方々もいるが、50年前まで料理の専門家は家庭にいたのだ。大きな社会の変化がそれを許さなくなった。
かつて、人々は「人として」企業に雇用されていた。その時代は家庭で食事を作っていたのだ。
今、労働者は「時給で時間を切り売り」する。企業は商品を作るのに必要な分だけを買い上げる。
グローバル化は、世界の地域から買えるので企業は時給を下げまくる。
朝から晩まで働き詰めでやっと生きていける賃金にしかならない。
年金は足らず、老後は生活保護でギリギリに生かされる。そそして大金持ちうは車庫に外車を何台ももち、子供は海外旅行に豪華な結婚式で資産を受け継ぎ、社員を召使いのように時給で使う。
生活習慣病は社会の病なのだ。
そして朝から晩まで夫婦で働き、企業の売る弁当やカップめんを食べる僕らは、辛い死に方をする。僕はまっぴらだ。


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腹減って夜食食っちまった。






「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



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