排除の社会『狂気、異端』を隠す社会。認知症の発見

ミシェル・フーコーさんの本を昔読んだはずなのだが、見つからない。フーコーさんは『狂気』『監獄』とは何かということを考えていた人である。
『気持ちの悪い(日常が想像できない)存在』とを特定の空間に閉じ込めて排除するということが、いつどこで始まったのかということを論じている。

介護制度も同じ根を持つように感じる。



重要な事は、『私達の社会・コミュニティは、これだけの老人が存在する体験がなかった。』ということだ。


施設や運用の方法は社会の構造としてどうあるべきかの試行錯誤の状態に有るのだ。
ところが、役人の作る『制度・マニュアル』は無誤謬で変更が困難である。税金(国民皆保険状態での保険料)をリソースとする雇用も発生し、利権も絡むので、単純な対処方はない。


そして大事なことは、『いずれ、自分の身に降りかかってくる』ことなのである。






僕の母はおそらく、『認知症』と呼ばれるカテゴリーに入る状態にいる。

かつて、『ボケ』と言われ、コミュニティの中で共に生きていた人々を、私たちは『施設』に入れて一括管理する社会構造を作りつつある。



いろいろな人と話しているが、まさに多種多様な答えが返ってくる。
しかたがない、専門家に任せればいい、治療なんだから積極的に入るべきだ、
当然のことながら、施設をどう認識するかで全く異なったものになる。

自分の面倒は子供に見てもらいたくないという最近まで親を介護していた人もいる。
同様に、自分は絶対入りたくないという施設の職員もいる。

自分がその年令になった時にどうなりたいかという問いかけに対して、真剣に向かい合っている人は少ない。
想像できないのである。そして、最悪の事態は見たくないのが人の常である。介護の問題が他人事なのである。そこが問題なのだ。

介護施設で20年近く働いている友人に聞くと、税金が使われるようになってから変になったという。
確かに、そうなんだろうなあ。税金使うとなると、「使わな、損!損!」状態になる。





法律が作られて、税金(国民皆保険状態での保険料)が集められる。
次々と企業の参入が起こる。
施設が立ち上ち初めて、人の雇用が始まる。
入所者の奪い合い、介護の低下、などの問題が露見する。

しかしながら、問題の根は深く、答えが見つかるかはわからない。


親は子供を育てる過程で抑圧し、子供は親を愛するし、憎む。
やがて子は長じて年老いた親との関係を再構築する。
そして、子供同士(兄弟姉妹)の間での葛藤が生じる。
金銭的な問題も絡む。

施設では、介護するスタッフと老人の間での精神的な葛藤が生じる。


まだまだ、これから様々な『経験知』が集まって「制度・マニュアル」を変えることが出来るのだろうか?

皆異なった経験、人生、を生きて来た。
その終点をどう過ごすか、考えていきたい。





この社会構造は多面的に見る必要がある。

1)子供:介護するべきと社会に思われる存在
2)親:介護されるべきと子供に思われる、必要だと認定される存在
3)役所:税金を適切に使う側
4)施設:子供が介護を「アウトソーシング」する企業体
5)施設の職員:具体的に介護業務を行う職員

利益、感情、関係性、教育、習慣、地域のコミュニティ、それぞれの側面で分析する必要がある。






問題は、この道が正しかったのかという見返しである。
果たして僕らは社会を変えることが出来るのだろうか?


The world's corruption runs deeper that even you know.
この世界の腐敗は貴方が思っているより、ずーっと深い。

エレメンタリー 2シーズン 6枚目 マレフィセント

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