幸運な病のレシピ( 1544 )朝:「後片付けを科学する」飲んだ翌日の後片付けは必須、人に頼らない厨房哲学、後片付けをディールの材料にしてはいけない。

【 2019/9/11の食事 】

僕らは、人生のある程度の期間「家族」という単位で生きている。
しかし、今の時代はいずれ一人で死ななければならない。

この50年で社会はあまりに大きく変わったのだ。格差は広がり社会は固定化されている。


その場所が「家」だと「孤独死」と言われる。
しかし、それは介護施設がハッピーな楽園のように思わせる「フェイク」だ。
年取って自分を知っているヒトがいなくなっていけばどこにいようと孤独である。

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子供がいたとしても、20年遠くで離れて生きれば、馴れ馴れしくて、見知らぬ若造である。
相手から見れば、「年金ATM」としての価値のあるだけの、汚い爺さん婆さんでしか無い。


僕はぴんぴんころりと死ぬ。
そのためには、毎日素材から食事を作り、専門家(医者や栄養士)に命を預けない。
専門家は、商売人なのだ。安く仕入れて高く売ることで利ざやを稼ぐ。
今日の食事が死に方を決める。

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昨日は良く飲んだ。痩せるのはもう少し先になる。
心安らかに生きることができるまで....この身体というコロニーの形は、僕という人間の「表現形」なのだ(笑)。




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「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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