幸運な病のレシピ( 1370 )夜:塩サバの甘酢仕立直し、鳥かつの卵とじ(仕立直し)、母は年取って料理を作れなくなっていった。自分の未来を考える。

【 2019/7/1の食事 】

鳥カツの仕立て直しは卵で閉じる。

これが一番だ。
僕はご飯は食べないが、ご飯にかけて食べると半端ない!
ああ、カツ丼恋し、天丼旨し。
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父の食事

昨日安売りで買った刺し身がメイン(笑)。
朝からの魚を合わせると豪華絢爛である。
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いつも母の晩年を思い出す。

亡くなる数年前から、佃煮の瓶詰めを食べていた。
これが美味しいと言って、ご飯を炊いては食べていた。
年取るとそういうものが好きになるのかなと思っていたのだが、大きな間違いだった。
料理を作れなくなっていっていたのだ。
徐々にあんなにキレイに洗われていた皿やコップにも汚れが目立つようになっていった。

舌は荒れ、何種類もの薬を飲んでいた。
2014年立って歩けなくなって、廊下を這って台所やトイレに行っていた。
僕が全面的に料理を作り出した頃だ。
あんなに口うるさかったのに喜んで食べてもらえた。
訪問のマッサージが良かったのか、やがて立って歩けるまでに回復した。
それでも毎日料理を作っ食べてもらった。

舌の荒れが消えて、薬の量が減った。
それでも、便秘薬と精神安定剤は止められなかった。

2015年4月僕は失明すると脅され、眼底をレーザーで焼いてインスリンを始めろと医師に恫喝された。
母とともに、「家族を守る食事」を作り、生きていこうと決心した。

亡くなる3ヶ月前、母はすっかり薬をやめて僕と笑いあった。
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僕は、残された父の食事を毎日作る。

僕は「素材から作る食事の価値」を信じる。
家族のために作る食事には力がある。

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動画の中でも。マユが吠えていたのだが、隣の父の家に「悲しきドロボウ」が来ていた。

言葉巧みに父の実家に上がり、コインや時計、祖母から伝わるカンザシ、大判のレプリカ、多くの記念コインをタンスから引っ張り出していた。
父は要らないから好きなように探していいと言ったようである。
確かに、何の役にも立たないが、僕には大事な思い出だ。
そして、たかだか2500円で500円の記念硬貨を数十枚である。適切な購入価格とは思えない。
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実に好青年で、ハキハキしていた。名刺には代表取締役社長とある。
適切な各区とは思えなかった事と、90歳の父の家に上がり込んでかってに引き戸の中を漁ったことは余り褒められたことではない。

辛い商売であろう。
彼の人生を思い、僕の人生を思う。
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少し悲しい思いをした。



今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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