「直さなくていい認知症」一読。私達は自分の誇りを奪われた時生きながら死ぬ。

「直さなくていい認知症」上田諭著 を読んだ。

彼は認知症と言われている老人のいる『家族』のケアをする専門家である。
子どもが、「ぼけているからなんとかしてくれ」と病院に連れてくる臨床を行っている。
そんな場面では、(同伴した子供が親をボケていると言うたびに)親がドンドン無表情になっていく場面を見ていた。
そして、親はますます問題行動を取るようになる。


上田先生は、子どもの言葉でいかに親が傷付いているのかを考え始めたのである。
年を取るのはアタリマエのことであり、忘れたり、同じことを繰り返して話したり、することは自然の事だという。

その本を呼んで気がついた。
自分が年取った時に、子どもにどういうふうに接してもらいたいかである。

年をとって、若い時のように生活できなくなるのは自然のことである。
しかし、それを持って、子どもから親が、「厄介者」になったと断じることで、本当に厄介者になってしまうのだ。

例えば、自動車の運転をやめさせたいとき、本人にとっては自動車の運転は「自分がまだ老いていない」ことの証明だったりする。そんな本人の心を考えないで、年取ったからやめろと言っても反発されるだけである。


家にいながら、家に帰りたいというのは、自分が必要とされていた過去の家族に戻りたいというのことである。

今の父母が子どもである自分にとって必要だと伝えることが重要だと思う。




介護ではなく、変わってしまったお互いの間で新しい関係を築き、ルールを決めて、ともに生きることが重要である。

僕には中2と高1の子どもがいるが、この二人共同じように接することを心がけている。
二人の場合は向こうが大人に成り、僕が老人になるのであるが、常に変わる自分たちを互いに信じあってともに生きることだ重要である。


2014/10/8 長崎国体出張の朝 ( 和解後 )

先日、半狂乱になって母が仕事中の僕の家に飛び込んできた。
怒鳴り合って家から追い出して、「もう二度と来るな!」と言ってしまった。
しかし、僕は間違えていた。母の勘違いを責めるわけにはいかない。
よく事情を考えれば当たり前のことである。

僕だって、悪い方向に考え出すと止まらなくなる。不安からいらぬ行為を行う。
それを思い出せばいい。


家族とは互いに信じあうことである。




2日後、こんな手紙を書いて、僕は父と母に謝罪した。
そして両親と信頼しあって生きていきたいと思っている。


おとうさん、おかあさんへ

いつもありがとうございます。
なかなか軌道にのらない私を暖かく見守って頂いて感謝しております。

必ずや、この仕事を軌道にのせたいと思っているので今すこしお時間ください。

おかあさんが、おとうさんの姿が見えなくなると不安になる気持は良くわかります。
私も、一旦悪い方に考えだすとどんどん悪い想像をしてしまいます。マナやマサヒトが一人で行動している時心配でしょうがありません。それはボケているとか年取ったとか言うことではないと思います。


なんとかしてその不安を取り除ければいいのですが。
それには相手を信じるということしかないと思います。



おかあさんも、おとうさんを信じて、いい方向に考えが向けられるようになるといいのですが、なかなか難しいものです。

おとうさんの自動車の運転に関しては、ご自身で判断することだと思っています。なので、運転を辞めるようには申し上げるつもりはありません。

おとうさんが無理に運転をする必要がないように、私も直子もお手伝いするつもりです。

決して運転をするのが楽でないようになっているようでしたら、銀行にお送りしたり、買い物をご一緒したりしますのでお教え下さい。





さて、2014年10月7日におかあさんが私の家にいらっしゃった時のことを書かせていただきます。
おとうさんが自動車で銀行に出かけた時、私のせいだと勘違いしたおかあさんが厳しく、「すぐに連れて帰って来い、お前にのために行ったのではないか」、大声で話しました。
その時、私は社員と出張前の最後の大事な仕事をしていました。
彼にも、(資金が上手く回らないで)出張のお金をお借りすることは皆聞こえてしまいました。
あまりよろしいことではありません。

うちに来るのは何ら構いませんが、仕事をしているときはいないものとしていただきたいのです。


お二人が、健康で仲良く長生きしてもらいたいと心から思っています。
楽しく、元気に過ごせるようにしていきましょう。


話をしていると、母は「早く死にたい」と言った。
これは自分が半狂乱になったことを反省していたのである。
僕は、あの時半狂乱で僕の仕事場に飛び込んできたことは何もおかしなことではないと話して、僕が追い出したことを深く詫びた。

父が寝ている時寂しくなって僕の仕事場に来ても、母はソファーに座ってマユ(ミニチュワダックス)と話をして帰る。

母は、父が一人で散歩に行っても「探しに行ってくれ」と僕に言わなくなった(ような気がする)。

話をした数日後に父は自動車の運転をやめた。

毎週、1-2回父母の家に料理を持っていって、酒を飲むが、前のように「仕事は大丈夫か」と何度も聞かれなくなった。
二人は僕を信じてくれているような気がする。
楽しく笑いながら一緒に食事ができることは幸せである。




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