父母との会食、笑う門には福が来る。

桜沢如一さんは言う「腹の底からワハハと笑える人生は楽しい」と。
マクロビオテック(食養)はあまり好きではないが、その言葉は納得できるものが多い。(何らかの宗教を信じることはないが、その経典の言葉は好きなようにである。)


今日(10/4)は、和歌山から帰ってきてからの報告会を兼ねた父母との会食である。


和歌山の地図、国体の公式パンフレット、写真を持って行った。二人は嬉しそうに話を聞いてくれた。


母は、大声で笑う。僕も笑う。二人で笑う。
母と父には朝晩果物入りのヨーグルトを作っていく。
二人で食べるのだが、この日は母が「今日はおれ一人で食うんだ」と言って食べながら大笑いである。


父は言葉少なく、食事を始めるとすぐに眠たがる。
おおまかに食事前に1時間位散歩してくるから、適度に疲れるのである。



今日の食事は、チンゲンサイと鳥のクリームズープ、鮭、焼き鳥、揚げ物、刺し身(ホタテ、鯛)、鳥だんご汁(ミョウガ)、斑の煮付け、キャベツサラダ、みんな大好きヨーグルト、筋子

キャベツのサラダはあまり好きでないそうである。帆立貝の刺し身が大好き(ヒモの部分は汁に入れる)。汁が塩っぱかったようである。クリームスープは気に入ったそうである。鮭には醤油をかけないで欲しいそうである。筋子はほとんど食べられていない。揚げ物は食べない(細かく切って他のオカズがないと食べる、父は大好きである)

しっかりと食べることの出来るオカズを持って行くと、御飯の量は少なくてすむ。

1年以上前の頃(僕が作るのではなく、母の料理を僕が食べていた)、会食していた時、母はおかわりをしていた。
今は少なめに一膳と、ヨーグルト(何とご飯と一緒に食べる)、どっさりのオカズ。
まさに糖質制限的である。


一緒に食事をしながら、食べている様子を見て、一つ一つ聞いていく。
おいしいか、味は濃いか、しょっぱいか、嫌いか、好きか、毎日食べたいか?
果たしてその人の体の中で何が起こっているのだろうか???

家族の健康状態はそれで分かるのである。

共に食事をするというのはたいへん大事なことである。

お弁当を買ってきてぽんと渡すのは、安くて便利だが、問題が多い。そして最大の問題は、そうせざるをえない家庭の状況であり、そう強いる社会のあり方である。


食事は、アウトソーシングできないのである。
スーパーで母ぐらいの年の女性が、袋いっぱいに菓子パン買って帰るのを見ると胸が痛む。
政権が「介護離職0」を目指すそうであるが、要するに、介護施設に皆放り込んで、働ける連中は働けと言うことである。そしてお前たちも施設で死ねばいいと言うことである。

おかしいと思う。



人生も、アウトソーシングできない



一週間の不在の間も、家族は毎日、一生懸命食事を作っていってくれた。
僕がいなくなったも安心である。

僕は幸せである。


昨々日(10/3)朝大変なことが起こった。
母の精神は5月に毎月の通院と処方されていた安定剤をやめて、随分安定しているた。
しかし、ショックな事が起こり杖も持たないで歩いてきて、うちの玄関先で倒れたのである。

僕の配慮が足りなかったのだ。

この時は、参った。足と腰を打って、痛くて立てない、歩けないと泣き叫ぶのである。
年寄りとともに暮らすのは、油断できない。
万全の配慮と、常にいたわりを持っていなければならない。

救急車を呼ぶか、どうするか、痛むという場所を触っている。
医者に説明するために、どんな格好で倒れたかの写真を撮るように妻に言った。

大声を聞きつけて、父が飛んできた。
ゆっくりと立たせて、歩く、階段を降りた辺りで大丈夫のようだっったので一回家に戻りすぐに実家に飛んでいった。

痛がってはいたが、落ち着いてきている。


今年のはじめに立てなくなって、家の中で這っていた時に比べて実にしっかりと筋肉が付いているのにびっくりした。
食事の結果が出ているのだと思う。

体重はさほどの増減はない(と思う)。

昨日(10/4)、朝、食事を持って行ったら母は言う。
「病院へ行ったら、医者が見てくれて、どこも悪くないから、歩きなさいと言われた」と。無論、病院などへ行っているはずがない。

続けて「もちろん夢だよ」という、面白い。ボケたのかと思えば、まるでそうではない。
人の心というのは面白い。


二人は近所に住む親戚と、父の実兄のいる介護施設にお見舞いに行った。
母の打撲もショックな事も乗り越えられたようである。

どんなことでショックになるのか、今度、ゆっくりと、書きたい。

しかし、人生は複雑だ。

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