「庭いじりの贅沢」2019年 鯉の産卵「僕のマイクロバイオーム論」(28)セックスのこと。「家庭という装置」は、セーフティに欲望を満足させるためのもの
2016年に6月末に鯉が産卵した。
masaya50.hatenadiary.jp
今年は早い。
池の表面が泡立って、大きな鯉同士が追いかけあっていた。
2016年に生まれた鯉たちは何かに驚いた様に泳ぎ回っていた。
精子を放ったのだろうか、池の表面が泡立って、新芽の匂いがする。
新芽の匂いと精子の匂いってなぜにているのだろうか?
探したが卵は見当たらなかった。
セックスってなんなんだろうかと思う。
「身体というコロニー」の中からマイクロバイオームが、外に広がろうとする圧力だと考えると納得がいく。
犬が人の足に交尾をしようとするのを見ると間違えているという人は多い。
しかし、考えてもらいたい、犬は「ヒト」という概念を持ってはいない。
ただ単純に身体の中のマイクロバイオームが交尾しろと命じているのだ。
ヒトが、他の個体と二人きり(またはそれ以上)になると交尾を始めるのはなんら不思議はない。
操られているのである。
そして社会的な圧力(「不倫に対しての処罰」)はセーフティなセックスを担保するための社会的な仕掛けだ。
エンゲルスの「原始共産制」はすでに否定されているが、3歳児の世界と、その上に「意識という社会性」をコーディングした20歳、そして全て忘れ去った90歳の老人を考えると面白い。
マイクロバイオームが操る「乱行」と見ることもできる様な無分別な「コロニー」間のやりとり。
やがてセーフティな「セックスや食事」=欲望の満足を保持する装置としての「家庭」
それを維持するためには「家族」という閉ざされたコミュニティで我慢しなければならない。
「意識・欲望・宗教・社会・家族」とはなんなんだろうか?
「家庭という装置」は、セーフティに欲望を満足させるためのものだと考えている。
シェルターの中では我慢するほかない。
LGBTQであっても、互いの要求に従って、パートナーとはセックスするほかないのだ。
多くの文学で描かれている。
有名アイドルだった女性が夫との裁判で、
マイクロバイオームを知ってから色々と考えているのだが、うまく繋がらない。