僕のマイクロバイオーム論(27) 風呂に入る順番に敏感な理由、「タデ食わせる虫」が私たちの中には潜んでいる。Every man to his taste.の裏側
僕のマイクロバイオーム論シリーズはこちら。
マイクロバイオーム論者としては、「家庭でなぜこれが重要なのか」ということを考えることは面白い。
個人の箸や食器を区別することもなぜ重要なのだろうか。
下着や歯ブラシは、他人の家でトイレを借りるのはなんか嫌である(向こうも、そうである)。
ハグやキスやセックスは厳密なルールのもとで運用される。
風呂に入るということは自分を風呂のお湯に自己を延長することである。
プールに入るということも自分の延長である。
食事をともにするということは自分の延長である。
セックスは身体の中のマイクロバイオームにしてみらた自分を延長する手段である。
私というコロニーから体液(唾液・生液・愛液)を橋渡しに他のコロニーに移住して数を増やそうとしている。
汲み取りトイレは、家族のマイクロバイオーム環境を共有していた。
汲み取りトイレの時代の病院を想像することは難しい。
人口集中が始まった時代のロンドンやパリ、ペストが猛威を振るった時代を想像することは難しい。
僕の小さい頃は、犬の散歩してうんこを処理することがは少なかったような気がする。
そしてそれが問題になり始めたのはいつくらいからだろうか?
野良犬は、いつからいなくなったのだろうか。
「衛生観念=何が汚くて何が綺麗か」はマイクロバイオームが「自分というコロニーの範囲」を決めていることを反映している。
様々な動物はヒトのような意味で自己を認識しているだろうか。
犬が顔を舐めるのは犬の中のマイクロバイオームが他の生命移住したがっているのだと考えると納得がいく。
相手が移住先にふさわしいかをチェックしているのだ。
他の犬の「うんこ」を食べるのも当たり前の行為である。
他の犬の匂いを嗅ぐのも、猿がとかの猿の飲みを取って食べるのも、子供が自分のカサビタや鼻くそを食べるのも、当たり前のことなのだ。
汚いと感じるのは勝手だ。
しかし、そこに魅力的な何かが潜んでいるのだ(笑)。「タデ食わせる虫」が私たちの中には潜んでいる。
逆に言えば、「ヒト」の様々な「衛生観念」こそが異常である。
この自己を防衛するためのルールの起源はどこにあるのだろうか。
私たちはこれを「宗教」とか「家族」と呼ぶ。
子供が、自分で「食事」をとることができるようになるまで時間(料理を学ぶための)時間がかかるから問題なのである。
多くのマイクロバイオームは液体の中でしか生きて入れない。
身体というコロニーも体液で満たされている。
乾燥している環境で生きるための仕掛けである。
だから、私たちが他の生物(他のコロニー)に親しみを感じる順番がある。
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