全く賛成できないが、こういう事を言う人たちの気持ちはわかる。「弁当がパンとリンゴでも子は育つ 家事の束縛さようなら」

全く賛成できないが、こういう事を言う人たちの気持ちはわかる。

こういう議論の問題は何かと言うと、「家の消失=食事の商品化(外注化)」が良いものだと万歳三唱しているところだ。



確かに、「満腹を売っている食事」をお金で買えば良いのだという考え方はわかる。
食事作りという役務から金を払えば解放されるのだ。
低価格の奴隷を雇うようなものだ。

医者や栄養士が推薦したり監修しているレストラン行ったり、弁当食っていれば健康になると信じたい気持ちはわかる。

しかし、僕らの生活習慣病(とそれに引き続く災厄)に対しての恐怖は消えない。
僕は食事を作らなく(れなく)なったことこそがこの問題の原因だと思っている。

「家」というのはパワハラやセクハラの温床である。経営者(義理の父母)は新入社員(息子の妻)をOJTの下とにかくイビル(笑)。

徒弟制度っているのはマニュアル化できない技術を伝えるためのものだからね。
(結局、家から自由になったと言っても、夫の給料じゃ生活できないからパートに行ってイビられるのだからもっと悪いが、給料もらえるからね)。

フルタイムスレイブ(強制による奴隷)からパートタイムスレイブ(自由主義市場による奴隷)になったということだ。
パート先で低賃金でお弁当作ったりしてたら大笑いだ。自分が作ったお弁当の上がったり駅から自分お安い時給が払われて、ピンはねされる利益は金持ちをますます金持ちにする。
フード・インクという映画では、ハンバーガーに使うパテを作っている移民労働者がそのハンバーガー(低賃金で食べることの出来る食事)を食べて、糖尿病の治療をしながら子供にブロッコリーを食べさせる夢を語っている。涙が出てくる。
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政治的に正しい栄養学」を信じたい気持ちはわかる。僕も、そうだったから。

けどね、おそらく「一食の価値」は「お店の利益が半分以上の食事」では駄目だと思う。
僕の家の傍のお店では8時すぎると一気にパンや弁当が50%引きになり、お客さんがごった返す。
お惣菜は30%位引かれる。つまり、その値段でも売れれば利益は出ているのだ。

ネットやレシピ本で、主婦や偉そうな先生方が一食200円でやりくり上手なだと自慢する。
500g(5色分)100円のパスタ買ってきて90円のレトルトのソースかければやりくり上手だ。お湯沸かすだけでいい。

確かに当面のコストは下がるが、トータルな人生でのコストはどうだろうか?
「ガンや認知症、心疾患や循環器疾患、透析に失明、壊疽に肺炎、リュウマチ骨粗鬆症、膝が痛くて歩けない。アトピーに難病認定の病気軍団」、やりくり上手と天秤にかけてどちらが良いかなあ。

まあ、医者は病人の数で売上が決まる。この災厄は社会の変化が生んだ身体の自然な反応だ。



やりくり上手の食事術は「素材から料理を作る練習」がすっぽり向け落ちていくから、ますます料理が作れなくなってしまう。

`古い身体に対しての考え方が今の生活習慣病とその後の災厄を招いている。
「身体というコロニー」では代謝が活発に行われて様々な高分子化合物を作り出せる。
「顕著に症状が出る欠乏症」以外の問題は目につきにくい。
サプリメントで補充されるだけで症状は消えるから安心する。
良く効く薬もあるから症状は抑えることも出来る(糖尿痛風高血圧高脂血には特効薬、アトピーならばステロイド)。
けどね、問題の本質(食事)は放置したままだ。

本当に恐ろしいのは、そういう検査値の異常と並行して進んでいる「歪の蓄積」だ。
細胞は炭水化物が大好きだからそれだけで満足してしまう。


「身体というコロニーを形つくっている細胞」は常にリビルド(作り直し)されている。皮膚は常に外側に押し出される「玉ねぎ茶色い外皮」のようなものだ。乾燥しながら死んで垢になって滑落して身体を守る・粘膜も同、常に消化されながら新しい層が出来上がっていく。20兆個ある赤血球は毎秒120万個破壊される。

そしてその材料は皆食事なのだ。

身体は、待ったなしで新しい細胞を生み出し続ける。代謝とは異なったものから細胞を作る営みなんだ。そして、本来十分にあるべき材料(代謝物)が不足した時に「代替え」の代謝物をそこにつかう。

工場で部品が足りなくて、ピッタリのネジがないとき、まあ使えるネジで車を組み立てるようなものだ。そんな自動車がまともに動くと思うかね。生活習慣病は食事にこそ原因がある。
壊疽や肺炎、は一番外側のシートがきちんと機能していないことで起こる。免疫は裸の兵士のようなものだ。塹壕やトーチカがなければ戦えない。

運動は筋組織を強くするかもしれないが、細胞それ自身の機能の正常さとは関係ない。

運動は組織としての筋肉にプレッシャーをかけるし、アスリートは健康そうに見える。けどね、外見と内面は全く関係がない。運動しているから元気な年寄りになるのではない。元気な年寄りだから年取っても運動しているのだ。誰でもガンや認知症になる。

特に、年取っていくと食事の内容は「運動のためのエネルギー」以上に「身体のリビルド(作り直し)」に必要な要素が重要になるのだと思う。
炭水化物中心の食卓は満腹が早く来るから栄養学が分析できない要素を追い出してしまうのだ。
「カロリー(運動のための尺度)」を中心にした食事が手間のかかる「食事」を追い出すのだ。


この論者には聞いてみたい。

子供はパンとりんごで大きくなるかもしれない。では、あなたは年取った時にパンとりんごだけで良いのですか?
僕は老人がお店でおにぎりと酎ハイ買っている姿を見るたびに涙が出てくる。
きっと僕も一人で人生の終末を過ごすだろう。グローバル経済の社会はそういう物だ。個人の責任ではない、社会の問題なのだ。

けどね、父と同じ年になっても、食事を作り続けたいと思う。だから毎日父の食事を作っている。
そしてそのノウハウを共有したい。


自分の命は自分で守る他ない。
そして一人でも多く仲間(価値を共有する人)を見つけたい。
それが、新しいシェルターになると感じている。


僕の父は「家のために家族が生きた時代」の最後の末裔だ。「家」は家族のシェルターであり掟だったのだ。そしてもう戻れないし、戻ることを夢見てはならない。今という時代に合ったシェルターを探している。そして役人のやること(学校・医療・介護・刑務所)はあてにならない。自分が入ることを想定していないから。

この日、父が朝食に来て、話をしてくれた。
9:50 くらいから高校に入った話
12:15 跡取りが亡くなった頃の話

14:30 直し(亡くなった兄の妻と結婚させられる)の話

父の10歳上の兄が2歳の子供を残して亡くなった時、奥さん(兄嫁)と父の2つ上の兄は結婚した。
父は、その兄の恋人のところに行って結婚を諦めてくれと話した。
当時は、子供を抱えて離婚することもままならず、「直す」と呼ばれ、当たり前の様に行われたことだという。

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「盲腸や結核で人が簡単に死んだ時代、汲み取り便所や肥溜め」に戻りたいとは思わない。
けどね、自分の居場所がある人生の終わりには少し憧れる。

僕はどんな死に方をするのだろう。父と食事するたびに考える。




「おひとりさま」などとうそぶいている場合じゃない。
1960〜80年代以降の「ウーマンリブ」「シャドウ・ワーク」と言われる「女性という社会における役割の変化」を、「家という制度の崩壊」と共に検証し直して見る必要がある様に思える。
あの頃に論陣を張った先生方なんて最適な位置にいるだろうに......無理かなあ。

弁当がパンとリンゴでも子は育つ 家事の束縛さようなら:朝日新聞デジタル

弁当がパンとリンゴでも子は育つ 家事の束縛さようなら
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聞き手・池田伸壹 聞き手・大牟田透 聞き手・藤田さつき 2019年1月29日13時45分
「家事は女が」という思考からまだ抜けきれていないニッポン。でもそう言っている間に、共働き夫婦や、高齢化が進んで独居世帯が増えていきます。さあ、あなたならどうする?

「きちんと」に縛られないで 佐光紀子さん
 重曹お酢を使った掃除の本を書いて、なぜ日本の女性はこんなに家事に縛られているのだろうと疑問に感じるようになりました。その歴史的経緯や海外の状況を知りたいと思い、大学院で研究しました。

 明治以来、男性を戦争に送り出し、立派な子どもを家庭で育てることが女性の仕事とされてきました。ところが戦争が終わって憲法で男女が平等とされる時代になっても、女性に求められた役割は、高度成長を支える企業戦士を仕事に集中させ、優秀な次世代の労働力を生み育てることだったのです。

 核家族化が進むと、かつてお手伝いさんや家族と分業していた家事が家庭の専業主婦一人にのしかかるようになりました。さらに炊飯器や洗濯機、掃除機などの家電の普及によって、毎日洗濯してアイロンをかける、食事の品数を増やすなど、家事の水準が上がって負担が増えていったのは皮肉な話です。

 行政や学校、メディアも「手間と時間をかける家事」を家庭に求めてきたように思います。「朝ご飯が大事」と国が言うと、地方自治体がバランスの良い朝食を推奨するキャンペーンを始める。学校や幼稚園は弁当に「彩りも豊かに」「子どもが完食できる工夫を」と注文をつけ、手作りバッグを求める。メディアもその特集を組む――というように、「手作りが愛情のバロメーター」といったメッセージを発してきたのです。

 日本では、女性がどれだけ家事をするかが人格の評価にまで結びつけられるようになりました。床や棚にホコリがたまっていたり、食器を毎食後に洗っていなかったりすると「だらしない人間」だといわれてしまうのです。

 しかし海外では、食洗機を効率…