父(90歳)の散歩 2019年10月 自分で歩きたいというのはとても素晴らしいことなのでこっそり後をつけてみた。「強制散歩不要論」人というコロニーの中に住む細胞生命(マイクロバイオーム)は、コロニーの運動など気にもとめない。
16:10 食事の用意をしていたら父が来た。
本(暦)を買いに行くという。7月には全く食事を摂らなくなって亡くなるかと覚悟していたのだが回復してきている。
自分で散歩したいというのはすごい嬉しい。
お店はけっこう遠い、もう散歩に出なくなって随分経つが止めるつもりはなかった。
雨が振りそうだったから、気付かれないように後ろをついていくことにした。
食事の用意は一時中断である(笑)。
【強制散歩不要論】
無理に歩けと歩かせることはない(必要はない)。
歩かないと筋肉が弱ってしまうという医者を僕は嫌悪する。
健康番組では歩け歩けと脅迫する。歩かないと身体が衰えるという。
根拠のない妄言は人を苦しめる。
あるかないから衰えるのではない。衰えるから歩けなくなるのだ。
歩かないと筋肉が弱ってしまうと脅迫する医者を僕は嫌悪する。自分の無力を隠すために運動を脅迫するな。
無理に歩けと歩かせることはない(必要はない)。喜びである運動が義務となり私達を苦しめる。
人は家畜ではない。
16:20 裏の川の小道を歩いているのを発見した。
何とか追跡に間に合った。
16:37 少し先回りして、歩いている姿を撮った。
しっかりした足取りである。
16:40 そろそろ歩く合間の立ち止まりが長くなってきたのでピックアップした。
嬉しいことに、どこかの方が僕に声をかけてくれた。
年取ったおじいちゃんが一人で歩いていたので心配だったそうだ。
世の中捨てたもんじゃない。
疲れただろうから乗りなよと行ったら、嬉しそうに乗った。
16:45 目当ての本屋さんに行って。
本を買った。
16:55 家に着いたら、もう遅かった。
きっと晩飯に来るなと思ったら、来たので一杯うやった。
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楽しかった。
人というコロニーの中に住む細胞生命(マイクロバイオーム)は、コロニーの運動など気にもとめない。
その周りの体液との関係の中で生きようとする。
運動は生命(という神々の住処=マイクロバイオームのコロニー)にとって喜びである。
身体というコロニーの中でマイクロバイオームたちは元気いっぱいである。
外に出てもっと増えたい(ツガイがほしい)と言い出したらどうしよう。
そういえば、春くらいだと思うが、「アイコ(亡くなった妻)も後10年くらい生きていれば面白かったろうになあ」とツビ焼いていたことを思い出す。
素材から作る食事には価値がある。僕は父にそれを学んだ。
父が元気なことを再認識して嬉しい。
夏の頃のあの辛かったことが嘘のようだ。
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いずれ死なねばならああぬとしても、その瞬間まで元気で生きていきたい。
父の姿を見て、家族のため自分のために、毎日食事を作る。
30年後の僕のためになる。
ちなみに2017年1月に一人で散歩に出て大騒ぎをした。
それを思い出したのだが、あまり心配はしなかった。