茨城に出張中 父は元気に市の敬老会に参加した 外ヶ輪小学校 2019年9月28日 妻が送っていってくれた。

新聞にも無関心になっていた父が、市役所からの敬老会のお誘いを見た。
随分前で、丁度暑い頃の話だ。

きっと行かないだろうねと妻と話をしてたのだが、8月の末に行くと言い出した。
ちょっとびっくりした。
数日前まで、起きようともせず、食事もとろうとしない。フレイルのさなかで、病院に搬入しようかどうしようかと悩んでいたところだった。
少し涼しくなって、あれっと思ったら食事を食べ始めて、また元気になってきたのだ。


無論かなり痩せた。
そして、敬老会のことを見事に覚えていた。


僕は丁度国体の出張でいなかった。
お膳が付いて、酒のんで、子どもたちの出し物などを見て楽しんだ。



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妻とこんな約束をした。


出張中は父の話はしない。
もし亡くなっても、帰るわけにはいかないから。

もし亡くなって、僕が帰るのに間に合ったら、そのまま仏間に安置して葬儀をしようと。

間に合わなかったら戒名を頂いて荼毘に付して僕が帰るのを待って葬儀をしよう。
8月に(出張に行く前)和尚様と葬儀屋さんと話をした。
誰も呼ばないで家族だけで父を見送る。
息子も、遠い土地で一献傾けることになろう。


無論僕が帰れなくなる日も来るかもしれないが.......
まずは、父90歳 僕60歳の秋は更けゆく。





葬儀屋さんと話をした時に、面白いことを聞いた。
点滴で長く臥せって、亡くなった方は「モチ」が悪いというのだ。
普通に元気な方が、ドライアイスと棺に入れるとおおよそ1週間程度は大丈夫なのだそうだが、
点滴で生き長らえているとそこまで持たないそうだ。


人が死んだ後でも、髪爪は伸びるし、ある種の反射も残る。
総合的な「ヒト」は呼吸を停止したら死ぬ。



確かに細胞は、酸素の供給が止まると、5分程度で虚血師を起こす。
しかし、細胞は呼吸が止まったからと行っても即死ぬわけではない。
ミトコンドリアに酸素が供給されなくなるから、ナトリュウカリウムポンプが停止して様々な物質のやり取りは消え、細胞膜は風船がしぼむようにへたる。
しかし、無気呼吸は続き個々の細胞はまだ代謝を行っていく。
免疫系は徐々に停止して、体内外の制菌は身体というコロニーをもっと違ったものに置き換えようとする。
転生の始まりである。




点滴で生きているというのは、今の状態の身体というコロニーでは「生きていけない細胞」をフェイクいして、生かしているのだろうか?
呼吸が停止しても、人工呼吸で生かすことが出来るというのもどうも納得がいかない。
無論、その人の「生」が他の人にとって大きな意味があるならば別であるが。



父にも、僕にも延命治療はいらない。
もちろん点滴もそれに当たる。点滴なしでは生きていれない状態になったらしないでいただいて結構だ。



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虚血によりなぜ細胞は死ぬのか (未来の生物科学シリーズ)

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