運な病のレシピ( 1948 )朝:丁寧に生タコを煮た、鮭、あいなめ、手羽先醤油漬け、茎わかめ、コウグリの煮付け、なめこ味噌汁、マユのご飯、後にたこ焼き
【 2020/2/23の食事 】
北へ40分ほど行った漁港の生ダコを買ってきた。水から、沸騰させないでジックリと煮た。
20時過ぎのスーパーは安売りの嵐である。少し出遅れると何も残っていない。妻の土曜日のパートが終わって帰りによると丁度いいのだ。共働きしなければ老後が不安な貧乏は良いこともある。
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とにかく煮立てないでジックリである。猛烈に旨いのである。
茹でられたタコも売っているのだが全く違う。ガラガラと煮立てているのだろう、硬いしゴムを噛んでいるようだ。
こんなに違うとは思わなかった。ああ、いっぱいやりたい。
「茎わかめ」も安くなっていたので下茹でした。
コウグリという魚は身がしまっているので煮付けると美味しい。上品で僕は好きだ。
今日は汁を多めに煮付けた。
味噌汁はなめこである。
僕のマイクロバイオーム論はこちら。
食事の美味しさは、「身体というコロニー」がに住む「マイクロバイオーム(細菌やウイルス)」が「良い」と言っているのだ。「私というコロニー」を操る「森羅万象の神々」の仮説だ。
脳医学は大きく発展した。よく効く薬が売られている、現実に向き合わないで抗うつ剤を飲むのは生活のためには仕方あるまい。
しかし、脳科学は「食事」に対しては全く手が出ない。
「拒食・過食・依存」に対しては連戦連敗である。「脳の報酬物質に対しての反応」程度しか仮説を考えつかない。この美味しさ、セックスの体全体が震える喜び。炭水化物や麻薬のような依存品から逃れられない事。「報酬物質」で説明できるとは思えない。「マイクロバイオームが僕らを操っている」と考えたほうが多くの現象を破綻なく説明できる。
やがて死んだら、「身体というコロニー」はマイクロバイオームが食物連鎖の始まりに持っていってくれる。火葬は嫌だな。迷惑な望み\だ。庭の端に埋めてくれないかな。『我死なば 焼くな埋むな 野にさらせ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ』
『我死なば 焼くな埋むな 野にさらせ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ』は小町の辞世の句である。
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「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masay