幸運な病のレシピ( 1915 )朝:イカリング、芋天、タマネギフライ、かぼちゃ煮つけ、鮭、新巻鮭の頭、カツ丼の頭、なめこ汁、マユのご飯
【 2020/2/7の食事 】
レシピ本やレシピサイトを見ると、「材料を余らせない」事が重要だと書いている。スーパーでも販売単位は少なくなっている。
仕立て直しと、様々に分岐する料理の手わざがないと毎日の食事作りは続かない。最初の頃、随分材料を無駄にしたし。余り物が多かった。今ではほぼ0に近い()
厨房仕事というのは高度に頭脳的な作業である(笑)。
生きるのに忙しい「水呑勤労者」には学ぶ時間はない。かつて一人の給料で家族を養え、専任の料理人がいた時代には戻れない。
厨房仕事を学ぶより、買ったほうが簡単で早いし美味しい。
しかし、いずれ「売られている食事・簡単に作れる調理キット(パスタ+レトルト)」は身体に合わなくなっていく。
売られている食事に合わせるために、何十種類もの薬を飲まされながら病院に通い続ける。
生活するに足りない年金の給付開始を伸ばされ、いくつになっても家賃を払わせられる。憂鬱な老後がまっているのだ。せめて、ピンピンコロリとあの世に逝きたい。
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作っていたら停電した(笑)。
炊飯器と電磁調理器はブレーカーが一緒であった。
残っていたヒレカツを卵で閉じたラタマネギが半分余った。
先日のイガ(ゲソ天とイカ焼きに使った余り)で、急遽イカリングフライを作ることにした。
当然他にフライの材料も探したがないので、カツの頭のタマネギを半分使うことにした。一気に豪華絢爛である。ああ、ビール飲みたい。
朝食に父が来た。
最近は新聞を読みな型食べる(笑)。
今日は死亡記事欄で努めていた会社の1年先輩の名前を見つけていた。
高校の頃、学友に弁当に彩りがないとからかわれ、母の弁当に僕は文句言っていた。
しかし、決して僕の文句に媚びること無く、自分の信じる弁当(それしか出来ない)を作ってくれた。
和裁の内職で僕を育ててくれた母は料理の上手ではなかった。それでも、工夫してできるだけ美味しいものを作ろうとする姿をよく覚えている。
そして80歳を過ぎる頃から何度も鍋を炭にして調理手順も忘れていった。
あれほど好きだった笹団子作りが出来なくなった頃からパタリと料理を作らなくなっていった。
ご飯に海苔の佃煮が美味しいと言っていた姿を見て歳取るとそういう物が食べたくなるんだと勝手に思い込んでいた。
もう料理を作れなくなっていたことに気がつけなかったことが悔やまれる。
誰に文句言われようとも自分の信じるものを作る。
食べてくれる人の言葉を素直に受け入れながら工夫して自分を磨く。
おお、「ピンピンコロリの料理道」だ。
頑固なのは母譲りである。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masay