幸運な病のレシピ宣言 2020年版

はじめに

2型糖尿病患者の私は、2015年から食事療法を続けています。

2017年、医師や栄養士の「食事指導」に疑問を持ちました。

生化学、解剖学、病理学、介護学、精神医療、医療経済学遺伝学、免疫学、
栄養学、看護学、健康関係書、闘病録、体験談、家政学
読んだ専門書は1000冊を超えました。

しかし、僕の疑問に答えてくれるものはありませんでした。


「食事が重要だ」と言いながら、抽象的な成分の比率や総量、食べる順序や出来るわけもない我慢や運動を勧めます。
専門家に任せなさいと言いながら、苦しんでいる患者には「生活習慣が悪いからだ」と責任をおしつけます。

もう自分で見つけるほかありませんでした。

素材から食事を作ることで多くの災厄(合併症)から自由になるかもしれないと考えました。


食事に疑問を持たなかった「母の世代の食事」を今再現できるかと言う取り組みをはじめました。
毎日食事を作りながら動画サイトにアップしています。
すでに1800回を超える食事作りのドキュメンタリーが出来てきました。


今年91歳になる父、妻、娘、ミニチュアダックスのマユの食事を素材からつくり、後片付けも皆僕がしています。
僕の娘の世代は既に「家で食事を作らない」事が当たり前の世代です。
無責任なレシピ本や食事情報サイトには「簡単、美味しい、すぐ出来る」のオンパレードです。



できるだけ嗜好品(炭水化物)を避け、素材からの食事が重要だと思っています。
そして忙しい私達にはいかに困難であるかよく分かります。
しかし、忙しいからと言って「ガン」をほっておきますか?
僕は「糖尿病をなんとかしなければ失明する」と宣告されました。

医師の言うことを聞かないで、自分で「答えを探すこと」は今でも苦しいです。
明日失明するのではないか?
医師の言うとおりに眼底の種ずつをしてインスリン治療をすればよかったのではないか?


果たして僕の取り組みは何らかの意味があることでしょうか?
皆さん、ぜひとも御意見や体験をお聞かせください。

そして僕はもっと多くを学び、何かを見つけたいと思っています。




社会の変化が災厄をもたらした

「家」からの開放

1945年敗戦で私達は「家」と言う「人生を強制する制度」から自由になった。
1960年〜1980年の経済のグローバル化は大きな社会構造の変化をもたらせた。
社会の構造の変化は核家族化、女性の社会進出を促し、食事を「家」で作ることは事実上不可能となりました。
家庭で姑から嫁へと徒弟的訓練で受け継がれてきた「厨房仕事」のノウハウは断絶したのです。

社会の大きな変化

1960年代にはお店で食事を売っていることありませんでした。
あまりに簡単で、美味しいインスタントラーメンに驚きました。。

食事は家庭で作るもので家には専従のシェフ(母)がいた時代が終わろうとしていました。

母は迷わず食事を作りました。
祖父母の元気な姿が、伝えられた食事の正しさのエビデンス(証拠)だったのです。
何を食べたらいいかなどという悩みなどありませんでした。
外食しようにも、家の外に食事ができるところはありませんでした。都会の下宿は「賄い付き」が当たり前でした。
法事や結婚式さえも家の広めの部屋ですこし贅沢な料理を食べるのがせいぜいだったのです。

市場経済化される食事

利益を求める企業は、社会の変化に従い「食事市場」に参入してきました。
アグリビジネスと健康産業、そして製薬会社はあっという間に大きな力を持ちます。
行政の「政治的に正しい栄養学」は企業の健康商売の援護射撃となっっていきます。
1996年「成人病」と言う一群の疾病は「生活習慣病」という行政用語へと名称をかえます。

権威付けられる「政治的に正しい栄養学」

予防医学」と「統計学」と言う科学は「検査値」が災厄の予兆と「権威付け」ていきました。
1960年代に手探りで始められた栄養学は、政治と専門家(アカデミズム・大学・研究機関)によって正しいものとされます。
「家族」と言うシェルターの崩壊と相まって「政治的に正しい栄養学」は無誤謬の真理と崇められた。

かくして、健康診断という検査値の確認と、クスリで下げる事のできる検査値は、『長く苦しんで後に死に至る疾病の前兆(原因)』とされたのである。

「炭水化物」が商品化された食事に最適な理由

とにかく食事は毎日食べなければならない。
乾燥させると長期の保存が可能。
水分を加え、加熱することで食品となる。
性別、年齢関わらず、形を変えれば、誰もが大好き。
「パン、パスタ、うどん、ソバ、ご飯」伝統的な調理方法が存在する。

かつては、富裕層(支配者階級)が独占していた。
1930年前後からの移動手段(貨物輸送の低コスト化)が、機械化・プランテーションにより商品として成り立つ下地ができた。
その後の繰り返される戦争は人々の文化を破壊して「食事」と言う商品を成立させた。

商品化された食事は私たちの生活に組み込まれた。
もはや、カップラーメンやパスタにレトルト、時間が来れば半額になる弁当を抜きの生活を想像することは難しい。






医師や栄養士(役人)が言わないこと

現在「『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定」かつてなかったような恐怖が私達を襲う。
医師や栄養士は、私たちの不安に答えを出そうと必死である。
不足する栄養素、多すぎる添加物、謎の病原菌やウイルス、様々な仮説をたてる。
そして「最新の治験では」と今までの反省も★見返りも前言を取り消すこともなく、妄言を繰り返す。

しかし、一つだけ言わないことがある。

「素材から食事を作らない事」が原因だとは言わないのである。
商品化された食事が生活習慣病の原因だとは言わないのである。


家で食事を作るのは「女の仕事」だと言う思い込みがあるのだ。「家で食事を作れ」という言葉は、女性解放を否定する言葉だと「政治的公平」は判断する。

しかし、嫁に行った先で姑に厳しく指導され、「食事作りを習得していた時代」は終わったのだ。
シェルターとしての「家」も抑圧する装置(贅沢言わないで食べろと強制する)としての「家」も同時に消え失せたのです。

利益優先ではなく、健康優先の食卓を!

商品化された食事は、利益をもたらす必要があるために、抗えない魅力を持った炭水化物が中心となります。

そのために「身体と言うコロニー」にもたらされるべき生命に満ちた食事ではなくなります。
炭水化物を中心としたコスト安く満腹をもたらす食事は決定的に「生命(医学が分析していない多種要素)」が足りなくなります。


これこそが「生活習慣病」を前兆とした「死に至る災厄」の原因です。
しかし、医学は決してそれを認めません。


答えはどこにあるのか、今日も迷いながら食事を作ります。





ちょっとお勉強

「炭水化物」は「生命の共通の通貨」

炭水化物は植物が太陽光線を化学的に利用して作った「水素」と「炭素」の高分子化合物である。
すべての真核生命生命が持っているミトコンドリアで「水素」と「炭素」を分解して物理的なエネルギーへと変換する。

植物は「葉」と「根」の分業している「生命の」コロニーだと考えることが出来る。
光合成の出来ない「根」は「葉」から「デンプン(炭水化物)」を受け取り「水」を送る。
発芽して新芽が光合成を始めるまでの蓄えとして「種」は「デンプン」、植物は受精と拡散を動物に求め様々な「糖」を作り出した。



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