幸運な病のレシピ宣言

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食事を作ることの価値を考えている。
食事を作ることが重要だということを話す事がある。
相手はちょっと不愉快そうに「忙しくて料理など作っていられない」と言う答えが返ってくる。


みんな忙しい。

しかし、こう問いかけを変えてみよう。
「忙しいから、癌になってもいい?」
「忙しいから、認知症も仕方がない?」
「忙しいから、脳梗塞になっても文句はない?」

誰も、Yesとは言わない。


この問題(生活習慣病の恐怖)は決して個人の責に帰するべきものではない。
問題は「食事を作らないあなた」に在るのではない。



社会の構造の問題なのだ。
家庭というシェルターが破壊されて、ピンピンコロリの円満な人生の終わりを迎えることはますます困難いなっている。


僕一人が一生懸命になってもなんとかなりはしない。
しかし、多くの人がほんとうの意味の「食事の価値」を求めるようになったら変わるかも知れない。


なので、言葉を発し続ける。

80歳までまだ時間は在る。


2018/7/19


2015年に血糖値をあげない食事をしようと決心した。
自分で全ての厨房仕事をしようと考えた(年取って一人になった時に自分で全部できるように)。

しかし、「炭水化物を食べない」というのは実に難しいことに気がついた。
何を食べたら良いのかわからないのである。


かといって、一生我慢するのも出来ないことは分かる。

はたして、自分勝手な食事(笑)をしても健康に大丈夫なのか心配だった。


正直何度も途方に暮れた。
何度やめようと思ったかわからない。


母が食事を作れなくなって、(本格的に)母に食事を作って持っいきはじめた。
同時に、医師の話す健康情報の根拠を知りたくなって勉強を始めた。(その成果はこちら)
やがて、母の病状は良くなり、薬の依存からも抜け出すことになる。
そして、母はなくなり、父の食事を毎日作り始めた。


2016年1月に母が亡くなって2年半が経った。



食事に満足できなければいけない。
自分にあったものを大事に、好き嫌いをはっきりさせる。
嗜好品(穀物、酒)は程々に。
できるだけ食材の全体を食べる。


多分、このルールが僕の食事ポリシーだ。



しかし、食事作りは難しい。けど、価値はある。



それをなんとか伝えたい。

2018/7/16











健康情報が氾濫中!

医者や栄養士が監修しているTVや雑誌の多いこと、役に立たないこと。
オイルは×××がいい、肉は駄目だ、魚が良い。玄米こそが一番だ。小麦粉は止めろ。炭水化物はNG食品。
ガンが消える食事術、一流の男はここがちがう。

最新の研究ではと言いながら、昨日までの嘘はなかったことにしてしまう。



何が足りない、何が多いという情報のオンパレード。

生活習慣病への恐怖が新たなマーケットとなっている。
しかし、『災厄』が消える気配はない。








誰も続けることの出来ないレシピ本。

食事に問題があるということは誰も疑問に思っていない。
しかし、どんな食事が「良い」のかがわからない。


世の中のレシピ本は『食事作り』を余りに「簡単簡単」と言いすぎている。

そんなに簡単ならば皆している。
出来ないのは難しいことの証拠である






「幸運な病」で僕は食事こそが重要だと知った。今時、小学生でも「食事は大事だ」ということは知っている。
誰でも食事が大事だという「言葉」は知っている。テレビや雑誌で、健康食品やトクホ、医者の宣伝文句の枕詞だからだ。

しかし、どう大事なのかはしらない。

食事を選択する時に、そんなに大事なものは「専門家」に任せてしまう。
自分の知識に自信がない。

健康情報は溢れている。しかし、生活習慣病の恐怖は決して去らない。


僕はあの苦しかった日々(2015年4月〜)に感謝している。
糖尿病で失明の危機を宣告された事が"幸運にも"食事の秘密を知るきっかけになったのだ。











『家庭は食事を記憶する装置』である。
同時に『食事作りを学び、新しい状況に適応(進化)させていく場」である。



しかし、 経済のグローバリズム化によって「子供が成人した後、親子が毎日を共に過ごすことを許さない社会」になってしまった。
ローカルな循環経済が消えてしまい「小規模商店、農業」は消滅して「職と生活の乖離」が起きた。
3世代の同居が失われたのは当然のことであった。

家事はあたかも雑用のように扱われ、付加価値の少ない単純労働として(行政に)外注化された。



しかし、生きていかなければならない。

では、どんな食事で僕が元気に生きていたかを伝える方法はあるのだろうか?
僕と同じ遺伝子を半分持っている君たちに、30年後にどんな食事を作ればどんな死に方をするのかを伝えることが出来るのだろうか?



エビデンス(証拠)という言葉をよく聞くが、食事に関しては、他人の真似をしても意味がない。
自分という存在は世界でただ一つである。正解はヒトの数だけある。




と同時に、レシピというよりも「厨房仕事」を立体的に記録-継承する必要を実感した。
食事は、「家庭」が記憶していた。「徒弟的な親子(母娘)の間」で伝えられ、時代に応じて変更が加えられてきた。
重要なことは、家庭が「食事が適切であるかという確認の場」でもあったということである(注1)。


食事とは、「調理」+「手に入る食材」×「食べる人間の遺伝的傾向と過去の生活から生じる代謝の傾向」の関数である。
つまり誰にでも合う答えなど無いのである。

おまけに、毎日年取っていく。
臓器は弱り、代謝傾向は変わる。











厨房仕事は高度に技術的な専門仕事である。
簡単ではない。
しかし、私達はその困難な技術を伝承してきたのである。











僕は毎日朝30分で4品、夕方30分で4品作り、オーバーラップさせて食べている。
多彩なタンパク質を摂る。


白衣の嘘
腹八分目、野菜中心、肉ではなく魚、運動不足が生活習慣病を呼ぶ、









ヒトの数だけ正しさは有る。
自分で見つけようとする試みこそが、正しさを見つけるただ一つの方法だ。





【僕の食事選択のポリシー】

多彩なタンパク質を少しずつ。
20兆個が体内を循環する赤血球(寿命120日)は毎秒120万個破壊される。
私達のの身体は毎瞬間「壊されー>作り直され」ている。
作られる瞬間に必須アミノ酸が十分存在したいとその部品は欠陥品となる。

免疫は常にタンパク質を必要としている。
がん細胞を破壊して、寿命が来た細胞をリサイクルするのが免疫の働きである。
どの細胞を壊すかということを判断するのはタンパク質だし、破壊する手段において、タンパク質は重要な役割をする。

タンパク質と脂肪からブドウ糖は作られるんだ。







【毎日続けるために】

後片付けが実に重要である。
このことは中々触れられない。






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注1 : 家庭が「食事が適切であるかという確認の場」でもあった
坂口安吾さんは「ラムネ氏のこと」という論文の中で、フグを食うというノウハウがいかに確立したのだろうかという考察を行っている。
そして、現実を変えようとする「心」が世界を変えてきたという。
その原動力は自分の心に正直に生きるということだといい、しかし、どこまでも正直に生きることは出来ない(社会と言うものがなければヒトは生きれない)と堕落論では論じる。

安吾のジレンマは「生きるということの本質」だ。

僕はラムネ氏でありたい。