幸運な病のレシピ宣言 2019年版
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【「幸運な病のレシピ」の概略】
「生活習慣病という検査値の異常」は「食事」に対する「身体の当たり前の反応」です。
臓器が衰えれば、検査値は異常になります。介護施設で健康診断すれば「生活習慣病」が発見されます。
『商品化された食事』は「炭水化物」中心になりがちです。「製造・保存・調理・満腹」にコストのかからない食品は食卓から素材の持っている「生命」を追い出します。
「60年前の食卓」と「今の食卓」の違いこそが私達の人生の終わりを「通院、投薬、点滴・経管栄養・胃瘻」の10年にしています。
このプロジェクトでは食事に失われた知恵を加えることで「ピンピンコロリの人生」を目指します。
【 医学・栄養学は、患者の苦痛を取り去らない 】
「医師や栄養士・健康産業・健康情報番組」が太鼓判を押す『商品化された食事』は1960年代の医学の考え方です。当時の恐怖の「脚気、壊血病、トリ目」などの欠乏症にはならないでしょう。
しかし、今、直面している恐怖は『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎』と言った「検査値の異常に隠れて進行する身体の状況」なのです。
「検査値の異常」と「コロリと死なせてくれない病」の間には因果関係は有りません。
「ガンのマーカー」をクスリで落としても「ガン」は消えないように、「検査値の異常(血糖・血圧・尿酸・中性脂肪)」をクスリで落としても「人生の終わりに待っている恐怖」は消えることは有りません。
【 社会の変化が「病」を生み、医学では回避できない 】
この50年で社会は大きく変わりました。「家庭というシェルター」は失われ、市場が提供するサービスに置き換えられました。食事の価値に関しての『医学的な「エビデンス」』は見つけ様がありません。
今、食事を素材から作っています。生命に満ちた食事で「30年来の糖尿病」の結果の身体が綺麗になってきました。90歳の父、妻子供、(最近はペットのマユ)も僕の作った食事(幸運な病のレシピ)で元気です。医学的なエビデンスなどなくても僕たち家族にはそれで十分です。しかし、私はいずれ「施設」で孤独の中に死ぬのが運命です。
それを嘆いても仕方が有りません。その時に世話してくれる人に食事の価値を信じていてもらいたいのです。
【 解決はどこに 】
社会の持っている「食事の価値」を高めることこそが解決の第一歩なのです。
「介護施設・学校給食・病院・刑務所」まっさきに「食事のコストカット」が進められます。満腹になって、「政治的に正しい栄養学」に従っていれば問題は有りません。行政はマニュアルに従って公平に人々を苦しめます。
医者も栄養士もお役人も、自分の問題だと気がつくべきなのです。
この社会は私達自身にとっても利益の有るものなのです。単純に壊すことなど出来ません。
社会が変わるためには私達自身が変わらなければならないのです。
【 七転八倒の食事作り 】
しかし、「食事作り」は難しい。毎日が忙しい共働きの夫婦は生活するのでいっぱいいっぱいです。ワンコインで満腹になれる食事をする以外の選択肢はありません。
家庭科の授業で習った程度では「厨房仕事」は継続できません。かつて女性を家に縛り付けた時代は同時に「食事を作るプロフェッショナル」を「育成する機関(強権的で徒弟的)」でした。
医師や栄養士は「素材から食事を作らない」事が原因だとは言えません。
私達は未だに「女性が食事を作るべきだ」と考えています(特に年代が上なほどです)。
すでに、「食事はプロに任せるべきだ」と考える人が多くなってきています。
「500円でおなかいっぱいになる食堂のランチ」「お店で買う弁当やお惣菜」、「パスタにレトルトかけて食事作り」毎日が忙しく、そうする他無いことも分かります。それは仕方がないことです。
しかし、食事に高い値段を払えない人にとっては辛い人生の終わりが待っています。
作れば作ったで「まずい、口に合わない、カップ麺が食いたい」と文句ばかりです。
「家族」というシェルターは「人生(欲望)を強制する檻」でもあったのです。母の作ってくれた食事に文句ばかり言っていた自分を懐かしく思い出します。
一人ひとりの現実はあまりに違い、誰にでも効果のある解決策など有りません。
すでにyoutubeにアップした食事動画も1800を超えました。
毎日料理を作り、素材から食事を作ることの価値を探しています。食事を作るプロセスにこそ価値があるのです。その価値を一人でも多くの人と共有したいのです。
2019/12/25 齋藤真也