家族の肖像、BMI異常(デブ)の仮説、やがて来る自分の問題としての「認知症」

昨夜は結構な量の炭水化物を食べた。

最近は無闇矢鱈に「炭水化物は毒だ」など考えない。
生命に満ち溢れた食事を食べて、どうしても食べたいときは謙虚に食べる(笑)。
当然、血糖値は上がる。

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僕は酒を飲みだすと炭水化物が食べたくて仕方がなくなる。

酔っ払うとラーメン食いたくなるのである。
全くそうならない人もいる。この違いは面白い。
一人一人の代謝傾向は異なっているので全く違ったものを食べたくなるし、好き嫌いも大きな差がある。デブ(BMIという検査値の異常)であるから、痩せている人間から見たらまさに異常で病気で治療が必要なのであろう。


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自分に理解出来ない行動を取る人間を見ると、その「異常な行動」から他人の内部を類推する。

もし、正常な判断力がないとすれば、それは病気で治療する必要がある。

正常な判断力があれば犯罪で刑務所に入れる必要がある。


しかし、もう一つの可能性がある。
その人の置かれた現実が「異常(想像を絶している)」である場合だ。



刑法においても「正当防衛、緊急避難、心神喪失」のような場合は違法性は阻却される(心神喪失は病気に入れられる場合も多いだろう)。
ナラティブという治療のメソッドがある。これは患者に話をしてもらいそれを聞き共感するというものである。この考え方の本質は患者を信じるということである。信じてくれている相手にしか本当のこと話さない。「患者は嘘をつく」というが、嘘を疲れるのは患者を信じていない医者であることを自白している。

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父はかつてのように昔のことを話しても「おら忘れた」というし、「曜日も日にち」も分からないという。

おそらく、市役所の人間が試験すれば、まさに「政治的に正しい認知症」である。

病気となれば、当然治療しなければならない。施設に入れられ、酒も取り上げられ、毎日薬を飲ませられる。経費を払うために住まなくなった家は遺却される。年金は施設の経営者の売上になる。上手くできている。


しかし、僕は父の今の状態を思う。
昔からの友人も家族もみな先に死んでしまった。長年連れ添った妻も3年前に死んだ。もう短い距離を歩くものも難しい。

もし自分が、そんな現実に置かれたら、きっと何もする気力もなくなり、毎日カレンダーをめくりもしなくなるだろう。自分自身をネグレクトする。

父の今の状態は現実に対する当たり前の反応(僕もそうなる)だと思う。


僕が120kgになり糖尿病の診断をくだされた頃、毎月300時間残業していた。

ソフトの開発の14人位のチームのリーダーとして売上の責任をおっていた。
まさに異常な状況であった。その現実がっ身体に現れたのである。糖尿病、過食症、デブ、誰から見てもわかりやすく目に入るのはこの言葉だ。
しかし、母は僕を信じていた。生きるために精一杯努力ていると信じてくれた。だから見捨てなかった。




おそらく18歳くらいから30歳過ぎくらいまでの間の食環境がその「ヒト」の代謝傾向を決めるのだと思う。

生まれた家族から離れ、セックス(食事に次ぐマイクロバイオームのやり取り)を体験して身体の中の「マイクロバイオーム マップ」とでも言うべきものがが固定される時期なのではないか?


医者、政治家、教師、公務員、政治家にデブがいないこともこれで説明がつく。
比較的豊かな家庭で育ち、大学を出た時点で問題なく将来の道に進む。学校や病院ステディなパートナーいずれも身体というコロニーが「デブでない傾向」になるだろう。

営業、飲食関係、プログラマ、転職の多い人間、にデブが多いのもうなずける。あ、俺皆当てはまる(笑)。





食事と病気の因果関係は古くから研究されている。
その時代時代の問題があり、その現実に向き合い仮説を立てている。今の時代の問題は何であろうか。

十分に生命に溢れた食事をした上で炭水化物食べるのはどういう人生の末路を迎えるのだろうか。考えさせられる。





娘は2年間の学校を終えて、家に戻ってきた。やがて結婚して家を出て家族を持つだろう。
僕と妻が死んだ後に、この家と庭は彼女の名義になる。持ち続けるか処分する。
息子はやがて遠くに旅立ち、ともに暮らすことはない。家族という関係はその時点で終わり、共に暮らすことがまたあればそこでまた家族となるのだ。
僕が父や母と18歳で別れ、13年前にまた出会ったようにである。血縁や戸籍が「家族」を定義しているのではない。
共にいいたわり合い、相手の置かれている現実を理解しようと努力する。
「現実に向き合い乗り越えようと苦しんでいる姿」に力になろうとする。そんな関係を家族というのだ。

庭を片付けながらそんな事を考えた。





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父は90歳で毎日酒を3合飲む。認知症に関してももっと考えねければならないなあ、何せ「やがてくる自分」の問題である。

僕は毎日父の食事を作る。しかしそれは、自分のための食事でもある。生命に溢れた食事は生活習慣病やそれに続く災厄を払うと信じている。

息の長い実験である。
そして毎日動画を取り続けるのは、仮説を実践していることの証拠だ。

医者や栄養士の「無責任で政治的に正しい食事訓」ではないということを伝えたいのだ。僕と同じように苦しんでいる誰かに伝えたいのだ。

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がん治療中の友人に言われた。「長生きしろ、世の中が間違えていることを証明して見せてくれ」と言われた。

バカは長生きするというが、経験的な真実であろうか?



しかし、よく飲んだ。

しかし、こんなもんで証明できるのかい。