「免疫力とはなんだろうか?」皮膚・粘膜という身体最大の臓器と生命の話。父の逝去から考えたこと。ウイルスとともに生きるということ。

父の最後の1週間のことを思い出す

父は最後の3日くらい重篤化した肺炎の状態でした。
呼吸音は今までにないくらい大きく、起きているのがつらそうで、眠ると穏やかでした。
多分肺の粘膜のロールアウト(作り直し)が上手く出来ていない様子でした。
老人性の肺炎(一般的な細菌が繁殖している)だったのだと思います。
同時にサイトカインストーム(肺での自己免疫疾患)も起こっていたのではないかと思います。

亡くなる前日、足を見たら3cmくらいの水膨れがのような物ができていました。
足もカサブタだらけになっています。
亡くなった日の朝は、もうオシメも汚れていないで、足の先の方に同様の水ぶくれが出来ていました。

その時、「もう逝ってしまうのだな」と分かりました。
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皮膚ってどんな物?

「皮膚と粘膜」は同じような構造を持ち、粘膜は身体に取り込みを行い、皮膚は外部へ発信を行っています。
無論、皮膚を経由して様々な情報(=物質)も入り込んできます。
皮膚の組織は「7kgの真皮」と「3kgの表皮」からなりたちます。
真皮で生まれた表皮は、毎日少しずつ外に押し出されます。
30日(1日100g)で垢になって外部に脱ぎ捨てられます。
その皮膚だったシートは脱核と脱水をして細胞同士が、特殊なタンパク質の糸で縫い付けられるようにしっかり繋がります。
この細胞同士が縫い付けられた皮膚構造を「タイトジャンクション」と言います。

これが上手く出来ていないと皮膚の疾患が起こります。
同時に皮膚は剥がれ落ちながら「他のコロニー」に自分を伝えます。
虫が好かなかったり、一目惚れしたり、すべての情報は物質の交換を伴います。

粘膜ってどんな物?

粘膜は外部を体内に取り込みます。
ウイルスもそうだし、食べ物さんたちも、口内〜消化器内の細菌はたやすく粘膜を通り身体の中に達します。
コロナが肛門スワイプで見つかっていると聞いて驚いた人も多いでしょうが、「身体と言うコロニー」は乾燥からマイクロバイオームを守ります。
そして、他のコロニーに乗り移ろうと宿主を操ります。



恋人や家族、犬や猫やペットたちと私達はマイクロバイオームを共有しています。
濃厚接触は禁じようとも、私たちの人を愛する心(ウイルスに操られて感じるのですが)は押さえられません(笑)。
ハリガネムシがカタツムリを操るように、マイクロバイオームは「私」に「愛」を教えます。





肺の構造

肺も(粘膜構造を持っていますので)消化器などと同じです。
1億~4億個(はっきりした数字はわからない)の肺胞と言われる粘膜で覆われた「泡」は産まれてから死ぬまでフイゴのように空気を出し入れします。
当然1cm平方に毎秒300万個降り注ぐと言われている「黄色ブドウ菌やレンサ球菌」も常に入り込んでいます。
そしてそれらの細菌にとって肺の粘膜はお菓子の家です。
そして、通常の細菌達は粘膜上で白血球と出会い、「ダンス(貪食)」して身体に取り込まれます。

結核菌などは頑固にそこでコロニーを作り始め、肺の組織を食いつぶしていきます。


それらの細菌を貪食した白血球はリンパ腺で(白血球ごと)バラバラにされて新たな細胞達の材料として身体全体に流れます。
白血球の寿命は数時間から数日です。貪食を繰り返し、愛(破壊)すべき兄弟達を取り込みやがて消えるのです。
そして別な生命に取り込まれ、新たな生命の一部になります。
白血球と細菌達は、決して敵同士ではないのです。
いいお話だ。ナウシカアニメージュ版)か火の鳥みたい。


ウイルスが自分達を増やす過程と生命の発生はまるでそっくりではないですか。
「ウイルスと細胞生命」の関係は「卵子精子の出会い」と実によくにています。

医学書では、細菌は気管支で鞭毛に捉えられてタンになった外に出されると書かれている。身体の中は無菌状態なのだと信じられていた時代のことである。しかし、いまだにこの神話は信じられていることが多い。
PCR検査以前は、培養することで細菌の有無を調べていたのだ。嫌気性の細菌は、培養することが出来ない。今ではPCR検査でバラバラになったDNA・RNAから生命の存在を推定することが出来る。

父のことICUを選択しなかった事

救急車を呼ばないでよかったと思っています。
医学のマニュアルには生かすことしかのっていません。
生きている限り延命を行います。
父が亡くなっていることに気がついてから4時間後に警察に連絡しました。
検死の結果、夜の8時くらいに無くなていることが分かりました。
最初に救急車が来た時に、隊員の方は蘇生を試みました。
止めてもらいたいと思いながらも、止めることは出来ませんでした。彼たちも仕事だし、もう亡くなっているのははっきりしていました。

もし、前日の内に救急車を連絡したら、救急搬送されていたでしょう。
ICUに行ったら人工呼吸器で生かされながら足を切られたでしょう。
ICUは人を活かす場所ではないのです。NYでは重篤化した患者の90%が死にました。
普段でも、ICUの患者の30%は死んでいます。
病院施設で運悪く死ぬ間際だと判断されるとICUに送り込まれるのです。

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壊死・壊疽

老人の壊死・壊疽は恐れられます。傷が治らなくなると、「部屋においておいた肉を腐らせる細菌」が足を腐らせるのです。
つまり、「皮膚という最大の臓器」が機能不全に陥っているのです。
それこそが「免疫力」の具体的な正体です。

僕の足も、長くカサビタが勝手にできて、時折ぐちゃぐちゃした噴火口のようなものが出てきていました。
足のしびれは止まらず眠りにつくのも難儀でした。
それが、食事を変えて1年位から快方に向かいます。
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僕は幸運でした。




身体というコロニーのパワーバランス

身体にはいくつか「お代わりの出来ない臓器」が存在します。
「脳=神経系(目耳鼻口)、甲状腺膵臓、腎臓、肝臓、脂肪・筋肉組織(の一部)、前立腺、卵巣、皮膚組織」これらの組織は生まれてから死ぬまでその位置にあり、失われても、代わりの細胞は出てきません(再生治療のターゲットです)。
これら以外は皆寿命があり、次々と死んでは生まれてきます。赤血球は毎秒200万個破壊され、生まれています。骨も1.5年で皆入れ替わります。
常に変わっていく世界に対応できる為に破壊と再生は繰り返されます。
しかし、「自分自身」というものを記憶しておかなければなりません。生まれてから今までの「私」はそこにいるのです。




どうすれば、『お代わりの出来ない「自分自身」』を元気に保てるのでしょうか。
なぜ、臓器は衰え死んでいくのでしょうか?

自分というネットワークの一部が衰え死んだ時に何が起こるのでしょうか?



2019年父は全く食べれなくなり、もうだめかと思いましたが、1.5ヶ月後に突然戻ってきました。
あの時は何があったのでしょうか?
2020年とどこが違ったのでしょうか?


常にメタモルフォーゼスを繰り返すし世界に向き合う

僕はメタモルフォーゼが繰り返されると考えています。
外見からは変わりないけど、内部的に大きな組み換えが起こっているのだと感じます。
小学校の頃の記憶がないのは、トンボがヤゴの頃の気持ちを忘れるのと同じです。蛹は蝶に憧れません。




母は昔のことを話すのが好きでしたが、ある瞬間から全く話さなくなりました。
どこかで残された臓器で生きるために生命の組み換えが起こったのでしょう。
聞いても覚えていないと言います。
それを認知症と病名をつける医学は大嫌いです。
思春期は病気でしょうか?

母はだんだん「小さいおばあさん」になっていき、食事も作れなくなっていきました。
薬を沢山の種類出していた医者には呆れ返ります。
やがて、薬をやめることができた母は安らかでした。
それは病気ではない、「アタワリ」なのだと伝えることが出来るのは家族だけです。

医師は専門家(商売人)です。負けないくらい勉強しなければ殺されます。




胃潰瘍や消化器系のポリープ、そしてガン

口内炎、気管支炎、肺炎、胃潰瘍。ピロリからの胃がん胃潰瘍、十二指腸潰瘍、消化器のがん、膀胱炎、尿道炎、腎盂炎、意外なほど私たちの身体は粘膜部分で外部との接点を持ちます。



僕の視点で見ると、多くの病気は「皮膚・粘膜」というシートで起こっています。(これ以外はお代わりのない臓器での問題です)
ストレスで起こるなどといいますが、ストレスのない人はいません。これも「免疫力」と言う言葉と同じで、何も意味していません。
病気になればストレスが強く、治ればストレスに勝ったと言われます(笑)。


食事、食事、食事、食事

僕は、食事に起因すると思っています。
栄養学者の算出する「食事摂取基準」を調べれば調べるほど呆れ返ります。
この皮膚・粘膜のロールアウトに言及している栄養学者はいません。
体温の維持と運動量で「食事摂取基準」を説明しています。
専門家というのは「過去の世界」に属します。
そんな連中の言うことを聞いていたら辛い死に方をします。



皿の上の食品のバランスなどというものを気をつけるのではなく、つくられるプロセスを調べましょう。

出来るところからでいいので、素材からの調理のプロセスを大事にした食事を見つけましょう(お、繋がっった)。
朝の「味噌汁と焼き魚」、夜の「しゃぶしゃぶ汁」だけでも大きく変わります(笑)。
もちろん一食が数千円の食事でしたらいいものかもしれません。
問題となるのは千円程度の食事です。400円ぐらいで、製造から材料まで賄わなければなりません。






心で食べるということ

もう一つ重要なことは、「過食・拒食・依存」は医学の範疇の外だということです。
「誰か酒をやめさせてくれー」などと行っても詮無きことです。
身体というコロニーの形はみな違います。
一人一人異なった海に向きあているのですから。
そして自分にピッタリの食事は自分にしか見つけられません。