幸運な病のレシピ( 1978 )昼:ハンバーグ、ボチャのポタージュ(父の食事)
【 2020/3/7の食事 】
父が全く食事を取らなくなった。毎日痩せていくのがわかる。どうしていいかわからずにオロオロしていた。医者に連れて行くべきかとも考えたが、輸液(点滴が始まり)そのまま帰ってこれなくなるのは分かっている(他の症例を見れば皆そうなる)。
妻が、毎日食べているスープを飲ませたらどうだろうかと言ってくれた。全く気が付かなかった。そうかと思い走って昨日のスープの余ったものを持っていったら美味そうに飲むではないか。
今日は訪問入浴の日だったので入浴を済ませてからカボチャのポタージュを作った。カボチャを小さく切って茹で、マッシュして牛乳と合わせて裏ごしをした。
美味しそうにみんな飲んでくれた。「旨いよ」という言葉に泣きそうになった。食事こそ生命の元だ!商品化された食は「乾燥濃縮抽出」を通る。そんな食事は「抜け殻の身体」を作る。「素材からの食事の価値」を信じると良い。何よりも美味しいのだ。
インスタントのスープでもいいだろうが、こっちのほうが旨い。裏ごしした残りを食べたが美味しかった。午後にはフレッシュジュースを作ろう。僕の30年後、「施設で孤独に死という出口を待つ僕に」こんな食事を作ってもらいたい。介護とは役に立たなくなった老人の世話ではない。自分が尊厳を持って死を迎えることが出来るかという問題だ。そして社会を変えようとする行動だ。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masay