「新発田市」は、選挙の立会人の意味をわかっていない。申し開きを聞いてみたい。民主主義は根本から腐る。

呆れ果てた話だ。

僕の父は90歳である。もうゆっくりとしか歩けない。それでも、今日は選挙だよと言えば、選挙に行くという。
僕はそんな父を見るたびに、戦争の傷跡を思う。
選挙は大事なもので、自分たちの若い頃きちんと政治に関わっていることが出来たならばあの苦しみはなかったと決意したのだろう。

投票所の投票箱の前には立会人がいる。
なんと驚くことに、立会人の一人が町内に住んでいる前の市会議員だったのである。
それだけではなく、父が僕にどう書けばいい(僕を全面的に信頼してくれている)と聞いてきたら、その父の言葉を聞いて(その立会人は)「齋藤さん、人の名前書けば良いんだよ」と声をかけてきたのである。
もし、古くからの友人だったとして、父から声をかけられたとしても、微笑んで会釈すればいいだけである。
投票の仕方や書き方がわからなかったとしてもそれを教えるのは立会人の役目ではない。
投票所は社交の場ではない。未来を選ぶ場所だ(一応)。
まさに信じられない事だ。

おまけの会場が狭いせいか、投票用紙に書く所が見えるのである。
思わず怒鳴り出そうかと思ったが我慢した。
多分、父が何処に投票したかわかっただろう。

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帰ってきたら疲れていたのでタバコ数椅子まで食事を持っていった。



僕は民主主義が上手く機能していないと思っている。
しかし、否定はしない。
長い時間の間に制度は腐る。
それでも、同じ価値を信じているからだ。




選挙の立会人は黙って不正がないように投票箱を見ていればいいだけである。
確かに、父とは何十年も買おっ見知りであろう。
しかし、立会人としてその場にいるのである。

町内でも彼が前の市会議員であったことは知らない人間はいない。
何を考えているのだ!



もし、立会人になるのだったら、できるだけ自分を知らない地域で立会人をするべきである。
新発田は広い、市の職員だけで選挙の人員は確保できないことは分かる。
ならば、自分の住んでいる地域から遠く離れた所に割り振るべきであろう。
ボランティアで頼んでいのか時給を出しているのかはわからない。


選挙とは、政治の方向を決めて、私達の命に直結するものなのだ。
世界には選挙に行くだけでも命がけの国々もある。


僕らは恵まれているのだ。
大事にしよう。


そしてこんな術らしい制度を利用して貧困と格差を蔓延さている連中には憂鬱になる。


知り合いがそこにいるだけでプレッシャーになる。
僕が、立会人になっていたら、投票をする人はどう思う?
あのおかしなやつがいると恐れられるだろうなあ(笑)。


もし、年取った人に声をかけたいのならば、投票城の入り口で挨拶すればいい。



そして、投票に行かないことも重要な権利だ。




わかっているのだろうか?


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丁度、年とった人がお孫さんに手を散られて投票所の入口に向かっていた。
挨拶したら91歳だそうだ。
うちの父が特攻隊帰りだと行ったら、「そうでしょうねえ」と答えてくれた。

嬉しくも、悲しい風景だった。
僕の孫の世代には戦争に行かないで済むだろうか。