幸運な病のレシピ( 1303 )夜:イワシ、汁、後に生姜焼き、近代医学史と僕の食事ポリシー
【 2019/6/4の食事 】
父の食事はいつもの通り
多彩な食材を素材から作る。
食べきりではなく、何回にも分けて食べる事で毎回の食事のバラエティを出す。
少し足りな目だったので生姜焼きを作った。
すりおろし生姜で汁を最後に加えた。
僕の食事ポリシーがピンピンコロリにどう役立っているかを証明する手段はあるだろうか?
時折、考えるのだが、医療行為を合法化する「エビデンス」は存在しない。
そもそも、医療行為というものは「侵襲」である。
「合意と合法性」がなければ、医師免許があろうとも「犯罪行為」なのである。
あえて言えば、食事療法は「脅迫」に当たる。
「毎日ウオーキングしないと脳溢血になるぞ」「腹八分目にしないと心臓疾患のリスクが4倍だぞ」これって、中世の頃「寺院の御札」を買わないと「ペストで死ぬぞ」というのと何ら変わりがない。
健康診断受けないと癌になるぞ(早期発見できないぞ)というのは、中々ロジックが難しい。
「早期発見」が良いことのように考えるかどうかの問題である。
医師や栄養士の食事指導は、「欠乏症」に対しての治療のロジックである。
何らかの「単純な因果関係と良く効く薬」の存在する「欠乏症」に対しては正解である。
1930年〜1980年台の「飢餓の時代の終わり(=市場化された食事の侵襲)」までの話である。
「壊血病・脚気・くる病・鳥目・手足のしびれ」いずれも欠乏している「栄養素」を投薬すると治る。
しかし、恐怖の的である様々な「病気」に対してはこのロジックは通用しない。
それぞれのヒトの「代謝系」はあまりに違うから
僕は「商品化された食事」がそれぞれの人に対して別々な症状『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を作り出していると考えている。
病気と呼ばれる身体の状況は、「食事」に対する当たり前の反応なのだ。
僕の食事ポリシーは特定の食材やサプリメントには答えはない。
「素材から食事路作る」「嗜好品をできるだけ避ける」と言う2点が基本である。
その上に、「自分にとって美味しいもの」を選ぶ。という選択のルールが入ってくる。
人生は我慢大会ではない。耐久試験でもない。
そして毎日続ける。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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