僕のマイクロバイオーム論(17) 家族という単位は「共通のDNAゲノムの伽藍」であって「感染症(ヨソモノ)に対してのシェルター」でもあった。ニューズウイークのセックス関係の記事がマイクロバイオームネタ元になっている事

僕のマイクロバイオーム論シリーズはこちら




僕はニューズウイークの(サイエンスの中の)セックス関係の記事が大好きなのだけど、それは、あまりに一般読者の気持ちを代弁しているからなんだ。ツッコミどころ満載で楽しい。

この記事(「日本のメスザルは性的意図でシカ相手に疑似交尾」)もどうぞ


そこそも、セックスというのが子供を作るためのものという誤解から様々な問題が生じる。


また、宗教や家族というコミュニティが「子供を作る目的以外の性交」を禁じているのは、(かつての閉鎖的な社会においては)実利的な効果(感染症の防止)があったからだ。

しかし、今の社会は全く違った様相である。
そして異なった状況の社会(コミュニティのセックスのルール)が接するために多くの問題が生じる。

コミュニティのセックスのルールとは、「だれといつ、どのように性交渉をして良いのか」ということをコミュニティ単位で細かく規定している。ルールと言っても明文化されたものではなく、破ったら報復が待っている事を暗黙のうちに認識していればいい。

「母と娘」「父と娘」「家族外と中」「この村の男」「よそ者」といったコミュニティの規範。「かぐや姫効果」身分が上の資産家とのセックスrホールウエイズOK。

多くの神話では、異種の生命とのセックスが表現されている。おそらくは異なったコミュニティ(人種)に嫁いでいくことを象徴している。



聖書では神の怒りに触れたソドムの市民は塩の柱となった。僕は大丈夫だろうか?




「セックスはマイクロバイオームの交流を目的としている」という仮説から見直してみる。
そうすると、老人の性欲やセックス・LGBTQの意味(異常ではない)・宗教規範の厳しい地域での様々な法形態。みな説明ができる。



問題はそこから先である。
法・宗教・規範・家族の起源はどこに在るのだろうか?
常に変わっていく解釈の「正しさ」は何が担保するのだろうか?
果たして、「正しさ」を主張することは意味があるのだろうか?









つまり、一人の体の中に暮らしている「マイクロバイオームA」が、外にいる人の体に生きている「マイクロバイオームB」と交流したいと思った時に、「マイクロバイオームA」はAさんを突き動かして『不倫』に走らせる。
セックスは体内の血流を盛んにして、粘膜部分から体液を噴出させる。そして「マイクロバイオーム」交互のやり取りが生まれる。
そう考えれば多くのことに納得がいく。
つまり、セックスというのは、ある船の中にいるマイクロバイオームが船員を操って、他の船に乗り移ろうとしているのさ。






では、なぜ、ヒトはこれほどにのべつ幕なしにセックスしようとするのだろうか?
それは、かつての非衛生的と言われた環境で頻繁に行われた「交流」が失われたためなのである(と仮説してみよう)。

哺乳類は、体温を維持するために湿地や土や草から体を離している上に、皮膚によって隔絶されている。

閉ざされた環境ということはマイクロな生命にとっては良いことである反面、異なった環境に広がり適応しようとする場合には障害となる。

同じ哺乳類でも、犬はなんでも舐める、猿は互いのノミ取りをする、そして、人はセックスをする。
このために、出産とは全く関係のない「セックスの行動反応」を利用する。


マイクロバイオームは、コロニーの年齢・性別、社会的な地位・関係性などは頓着しない。
多々単純に求め、出来る限りの手練手管を使い、コロニーを操り、まだ見ぬ後悔(航海)へ出発しようとする。









かつてヒトは都市生活の中でうんこ尾を汲み取りトイレで貯めて互いのマイクロバイオームを満足させていた。
シラミ取ったりしていただろう。あれを舐めていたんだから、「シラミ+マイクロバイオーム」はコミュニティの間での共通のDNAゲノムを構成していた。

蚊は家族の間で感染症を媒介する。
もちろん、そんな環境ので、あちらに行ったりこちらに来たりするマイクロバイオームの中にはあらゆる神々がいる。
災厄に結びつく悪魔もいれば、知らない間に幸福を運ぶ天使もいただろう。


汲み取り便所を「非衛生」と断ずる「パスツールイズム」は多くの見えないメリットをバッサリと切り捨てたのだ。

僕も、汲み取り便所は嫌いだ。
僕の子どもたちはそもそも、その存在を知らない。
同じように感染症も、それに伴う悲劇もなくなったことを悲しむことはない。
母方の祖母は肋骨カリウスだった。母の姉は肺結核で自殺した。
宮沢賢治結核で亡くなった。
簡単に人は命を落とした。医学は大きな福音だった。






かつて、「非衛生的生活な空間」は、家族の単位で強い絆を持っていた。
その絆は、シェルターであった。
命を生み、育み、守り、食事を作り、病に倒れた時は共に苦しみ、死を看取った。
同時に厳しい規律を持って家族全体を縛り、強制した。








しかし、清潔な環境はこの絆を破壊してしまった。
そしてかつて無い様々な現象を産んだ。
ストーカーを生みキャバクラに貢ぐ男を生み。不倫騒動や離婚を生んだ。

家族という単位は「共通のDNAゲノムの伽藍」であって「感染症(ヨソモノ)に対してのシェルター」でもあったのだ。









根底にあるのは、「マイクロバイオームという神々」が僕らをコントロールしているという考え方なんだ。
その証拠はどこにあるのかということが問題だ。
けどね、「理性」とか「意識」とか言う「どこにあるのかわからないも」のがヒトを操縦していると考えるよりも筋が通る。











脳に快感を与える「報酬物質」が人の行動をコントロールするメインプレイヤーであることは誰でもご存知だ。
では、その「タンパク質」はどこで誰が産出しているだろうか?

刺激が、脳に送られてドパーミンが発せられて「脳が快感を脳が感じて同じことを繰り返す」という単純なモデルに医学は満足している。
ちょっと単純すぎないかい?


覚せい剤を脳にたらしたら脳は興奮するか?
人種により覚せい剤を「好んだり嫌ったり」するという観察結果は、まさに、「私細胞のDNAゲノム」が脳を作り、これが身体を操縦するというモデルを否定してはいないか?
DNAゲノムの人種的歳と言うことで片付けることができるか?

双子研究ではどう結論付けているだろうか?

双子の遺伝子――「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける

双子の遺伝子――「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける





マイクロバイオームCが何らかの物質を好み、それを摂取するようにコロニー(人の身体の事ですよ)をコントロールする。
また嫌うマイクロバイオームDも存在するし、Cの産出するタンパク質を好むEも存在するだろう。
私達の身体の周辺にはそれ頃数限りないマイクロバイオームがいる。
そして、それぞれは自分を維持して拡大しようとやっきである。



僕が飲酒を止めていられるのは、飲酒何らかの(快感物質的な)メッセンジャーを産出するマイクロバイオームが劣勢になったのかもしれない。






この考え方に従えば、依存症の治療モデルが大きく変わる。

酒で人が変わるというのも納得がいく。
笑い上戸も入れば泣き上戸もいる、下品になるやつもいれは意識不明になってやらかすやつもいる(あれみおんな俺だ)。

単にアルコールが酩酊を生むのではなく、マイクロバイオームが様々なメッセンジャーを産出して次のマイクロバイオームに影響を与え、またその影響はカスケード的に大きく展開する。

実に現実を上手く説明している。









「コロニーとしての生物」を「微生物や寄生虫」がコントロールすることはよく知られている。
僕は、その連中に「精子卵子に由来する "私細胞"」も参加させて考えている。

身体という「私細胞の運用する」コロニーの中には多重的に多くの「マイクロバイオームのコロニー」が存在する。
私細胞は、様々なメッセージのやり取りの中から恒常性を維持していく。
全てのマイクロバイオームはエネルギーの代謝において共通のプロトコルを持っている(これが一番大事である)。


些細な事でカッとして怒鳴るマイクロバイオームやメソメソするバイオーム。
独自に「脳という操縦席」にタンパク質を送り、身体を操る。
双極性障害やら鬱やらとは、食事を変えて、環境を変えることが重要な意味を持つ。
テーブルで向かい合っているだけでも、相手にはマイクロバイオームがメッセージを送り続けるのだ。

妻と二人では喧嘩になるものが、父が入ってくると喧嘩にならない。
たんなる(言葉による)コミュニケーションだけの問題ではない。
一人の人間が、その場にいるだけでガラリと雰囲気が変わることはよく体験する。




実際に物質(多種のタンパク質)が行き来しているのだ。
そういうことである。

癒し系の女性の膝の上でゴロニャンしたいのは僕だけの望みではない。
僕の体内の数十億のマイクロバイオームが望んでいるのだ。
うんうん。









意識というどこにあるのかわからない脳の部位を探すより、身体の何処かに潜んでいるミクロな神々に思いを寄せたほうが良い。
なにせ、相手の身体に潜んでいるマイクロバイオームが発信しているタンパク質にコントロールされ、フラフラと『不倫』しちまうんだ。
そして、『不倫』はコミュニティ自身に大きな危機を与える可能性がある。おそらく、家族という絆は老人問題に対しての歴史的解決方法だったのだろう。老人を大事にする哲学などは知識の伝承という麺から見ても興味深いものだ。

しかし、すでに今の社会はそのような多重的な意味を必要としない。
そのために多くの不幸な出来事が起こる。




そう考えると、筋が通る。



性的な嗜好に関しても大きな問題は常に起こる。
かつての社会においては「子供」資産で家来で召使(介護ヘルパー、資産管理人、労働力、兵士、保存食糧)であった。


しかし、家族を外注化した今では、子供にリソースを割いた所で見返りはない。
自由に生きるための足かせにしかなっていない。
このことは別に論じなければならない。














若い頃、食欲や好き嫌いは「内なる体の細胞の声」だと感じていた。
そうでなければ、何でこんなもの好きなのか、家族の食事より買い食いのほうが何で良いのかわからなかったからだ。


ドーキンスは言う、私達の身体は「DNAの乗り物(ミーム)」だと。
昨今のマイクロバイオーム研究の成果を知れば、大喜びするだろう。

この身体の中に共に生きている様々な生命のDNAが綱引きをしているのだ。
「DNAの乗り物」であるのは確かなのであるが、「私細胞」などよりも遥かに多くの神々のDNAの乗り物でも有るのである。

そして乗客はこの船以外でも生きることが出来るが、「私細胞」はこの船以外では生きることができない。







1019178



次のネタです。というか、この記事を見て思いついた。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/05/post-7544.php
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/05/post-7533.php



https://www.newsweekjapan.jp/tagsearch/%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9&os=0





こちらのページ興味深い事例についての解説があった。

梅毒に関しての人体実験の記事である。まあまあ、今時の介入試験と似たりよったりである。
というか、「現代の食事」は後世から見たら広範囲な実験である。
しかし、恐ろしい。
http://blog.livedoor.jp/ap_09/search?q=%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%AE


1019178