幸運な病のレシピ( 2152 )朝 :煮しめ、シャービンと塩豆腐、マユのご飯

【 2020/6/7の食事 】
レシピって大事なのは作り方ではなく味だと思う。身体は変わり、満足する味も変わる。小さい頃の思い出の味をいつも思い出す。料理を作るということはそういうことだ。
毎日僕らの身体は変わり、素材のコンディションも変わる。食事は生命の出会いなのだ。決して人間様が生きるために栄養を召し上がることではない。
私という生命のコロニーと食材たちという生命のコロニーが一つになり新しい形を作る。ひどく哲学的である。
炭水化物は毒ではない。あまりに魅力的すぎてコストが安く満腹になる。乾燥工程は食卓から生命(=脂質の膜で覆われたタンパク質の溶け込んだ水溶液)を追い出すのだ。そして「政治的に正しい栄養学」は1960年代に確立した「欠乏症に対抗する40種類程度の必須栄養素」が入っていれば大丈夫と太鼓判を押す。その太鼓判こそが辛く苦しい老後を作っている。そして老人の苦しみは年金の「打出の小槌」なのだ。問題の奥は深い闇に覆われている。けどね、(確率的には)あんたがた医療関係者も通る道だ。気がつくとイイね。



f:id:masaya50:20200607103339p:plain

www.youtube.com
f:id:masaya50:20200607103345p:plain

f:id:masaya50:20200607103353p:plain




「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



masaya50.hatenablog.com