母の一周忌

妄想と仮説はいずれも世界を理解するために必要なものである。
私たちは、自分の「皮膚の外側の世界」を確実なものとしては実感できない。

「他人に(自分と同じように)心があるのか」という問いかけには答えはない。

裏を返せば、「自分に心はあると他人に思ってもらえる」かということでもある。
また、「自分の心ってなんだろう」か、どこにあるのかという謎でもある。







母が亡くなって1年が経ったころ父は母の生前の友人や親戚を回って来たいという。
故人を懐かしみ、共に悲しみから立ち直り、人生に一区切りして、新しい関係を築いていくのが法事の意味である。

一周忌とは、単に形式をなぞることではない。
親戚を呼び、料亭で会食をすることばかりが一周忌だとは思わない。




母の実家と、父の実家(市の中心部で100坪の土地が父の名義になっている)は歩いていける距離である。
母の友人で小さい手芸店を営んでいる方の家も、まあ、行ける。

しかし、既に20年以上前になくなった母の1歳下の弟(ター叔父さん)の家は行ったら返ってこれない距離である。
その上、交通の激しい動とを通る可能性がある。
方向的には父の実家からほぼ一直線の所にある。


途中に休むところも少なく、歩くことはこんなんだと思っていた。
行くときは僕が車で送ると約束をした。


朝食を食べながら、「今日は、実家に行ってから、ター叔父さんの家に行ってくる」と言っていた。



毎日、おおよそ15時位までは寝ていて、それから活動が始まるので、その時間に実家に行った
何と杖がない。もう出かけていたのである。
あれだけ一緒に行くと約束したのに、一人で行くのにやはりこだわりがあるのだろうか?
すぐに、父の実家に連絡を取り、自動車で向かった。
既に、仏前羊羹を手向けて、次の目的地に向かった後であった。
16時になろうとしていた。
もう暗くなりつつあり、天候も不安定である。





ター叔父さんの家に電話するが出ない。恐らく家族みんなでかけている。
参った。



歩いているはずの父を探して。ター叔父さんの家に向かい交通量の多い道をゆっくりと走る。
暗くなってきているので、よく見えなくなってきている。
3本のルートが考えられたので、そこを順に回る。
1本のルートは細い道で、自動車では通り抜けが難しいが、そのルートが一番考えられる。
2回3つのコースを周りかなり暗くなってきていた。

再度、ター叔父さんの家に電話してみたら、家族の人が帰ってきていた。
まだ、来ていないということだった。

自宅に戻っているか自宅までの道を走るが、見つからない。
家に戻り、妻とどうすれはいいか相談する。


すっかり暗くなってきて、雪が降り始めた。




秋に、父はコンビニで缶コーヒーを買い、出た後で方向を間違えて家から遠い方向に向かったという経験をしている。
この時は随分遅くなったが、間違えたことに気がついて戻ってこれた。



ター叔父さんの家から、反対に向かったら、これは大事である。
結構細い道が伸びている地域なので、見つけることは困難である。

やはり、ター叔父さんの家の前で張るほかないと結論して待っていたが暗くなっていく。

以前、夜中に寝巻き姿のお婆さんがスリッパで道を歩いていたのを見て、警察に連絡した事があったのを思い出す。
また、、父の実家を7年ほど事務所にして仕事をしていたことがあるが、その時に、実家のお婆さんが夜中に外に出ることもあった。
どんどん悪い方向に妄想が広がる。


警察に電話した。
もし警察に保護されていたら、一安心だからである。


ター叔父さんの娘さんが帰ってきて一緒に探してくれると言ってくれた。


その時である。
妻から電話が来て、父が家に帰ってきているという。
直ぐに警察に電話して、ター叔父さんのご家族に話をして、家に帰る。






実家から、母の友人の手芸店に向かい、帰ってきたということであった。
母の友人の手芸店で、持っていった羊羹食べて、ひとときを過ごし、なくなった母を共に懐かしみ帰ってきた。
もう、元気な友人も少なく、あって話すこともあまり無い。

元気な顔を見たらほっと、一安心である。


一緒に食事をして、母の一周忌は終わった。







100%僕の妄想だった。

「心配する」というのは、相手を馬鹿にすることである。
僕は一人で、勝手に父の能力を疑い、馬鹿にして、大騒ぎしたのである。


もう僕は父を心配しない。

自分の心配に専念することにした(笑)。
僕にとっても大きな意味のある一日だった。




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