父の回復、食事と認知症の深い関係。すべての生活習慣病とその後に続く災厄は食事にこそ原因があり解決の鍵がある(僕の糖尿病も含めて)。

何から回復して何処に向かっているのかはわからない。
しかし、ここしばらくの父の様子が違う。
さささやかなことなのだが、いずれも、今までは、「いくら頼んでもやってくれないこと」だった。


突然、出来るようになったので、僕がおどろいて指摘すると、「(そんな事をするのは)アタリマエのことだ」と父は言う。
今までいくら頼んでも、「やってもらえなかった」のに、「アタリマエだ」と言ってやってくれるのだ。


以前、頼んでもやってもらえないときのことを考えてみる。
頼んだときは覚えているが、少し経つと忘れてしまうのだ。

僕らもみんな(長期的なスパンでは)忘れる。認知症はグラデーションのように私達を包み込み。決して明確な境界線が有るわけではない。
しかし、著しくなると、困ったことが起こる場合が多い。

認知症と言う病」は、今までと違った行動をし始める老人を示す。
そして病気だから、隔離して「治療」するのだ。



アタリマエのことをできなくなるのが「認知症」の病状なのだ。




おそらく、父は、今お願いしたことを記憶している。

だからアタリマエに行動するのだ。
何ら父の内面では異なった行為ではない。

実家のトイレの汚れ方が少なくなっている。
食事を自宅に持っていった場合に、食後皿を洗う。
麦茶を詰めているペットボトルを殻になったら持ってくるようになった。
電気カミソリで、自分で髭を剃る。
時折、僕の家で食事をして、トイレに行くのだが、立ってしないで座って小便をしていた。

僕は毎日食事を作っている。素材から、食事の持っている「水=生命」を大事にする作りかただ。

僕自身の為に食事を作っている。
同じ食事を父に配膳している。
妻も娘も食べる。
「家族という侵襲しながら守るシェルター」と言う概念を考えている。
50年前に消滅したが、あまりに便利せ心地よい生活とのトレードオフのために誰も論じようとしない。
そもそもあった事とすら記憶から消し去ろうとしている。

認知症に対しては医学は全く手も足も出ない。
他の「生活習慣病」と同じように「破壊的な治療(直さないし、もとに戻る道を潰す)」を行うだけである。
僕は自分の糖尿病をきっかけに「食事」以外に原因はないと直感した。
栄養学や医学を勉強して、ますます確信を持っている。
masaya50.hatenablog.com

僕の糖尿病も、父の認知症も、治ることはない。

身体が年老いて臓器がだめになっていく、死に向かうプロセスの一つだからだ。
しかし、人としての尊厳を保ちながら、助けられながら、最後の時を過ごすことは良いことだ。
かつて、「家庭というシェルター」がヒトの生と死を司っていた時は「ボケ」とよんでフォローしてきたのだ。
ほんの50年ほど前でしか無い。生活と仕事が密着していた時代だ。




いずれ、僕は施設や病院にはいらざるをえないことは分かる。

今の私達は、施設で死なねばならない運命だ。
そしてどの施設でもまっさきに食費が削られる。
それがどんな意味を持っているのかということを、多くの人が認識することで世界は変わると思っている。
自分音問題となった時人は本当に動く。

官僚組織(病院、給食、介護施設、刑務所)の行う「食事のコストカット」は容赦ない。
他人事だと思えば人はいくらでも残酷になれる。
憂鬱になる。
https://masaya50.hatenadiary.jp/entry/2019/02/12/004452


社会の仕組みがそうなってしまったのだ。

誰もが、食事を毎食作るなどという面倒なことは出来ない、医者の言うことを聞けば良いのだという。
しかし、今の「生活習慣病とそれに引き続く災厄」を考えれば分かる。
エビデンスなどは必要ない。


youtubeとブログに毎日アップしている。
既に1400回を超えている。
明確なポリシーを持ち始めたのはおそらく2017年の当たりからだ。
www.youtube.com

時間も手間も大変だ。
僕は「食事の力」を信じている。

問題は、80年前には当たり前にできてきたことが今はできないのはなぜかということだ。
masaya50.hatenadiary.jp





「毎日素材から食事を作る」
「乾燥・濃縮・抽出工程の食事を避ける」
「炭水化物は毒ではない、あまりに魅力的すぎる」
「自分の美味しさを大事にする」
「専門家(=商売人)の言葉に命を預けない」

このポリシーの食事作りを続けていく。
そしてもっと学ぶ。
自分自身として生きるために。


いつか誰かと出会えると思っている。

ああ、長い旅だ。



わがままな僕に付き合ってくれている妻や家族には感謝している。
もちろん父にも、空の高いところにいる母にも感謝している。
食事で健康を取り戻せると確信したのは、母と晩年を共に過ごしたからだ。

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今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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