幸運な病のレシピ( 1331 )夜:汁(仕立直し)、ここ数日のオカズ、「90歳の父の食事を作りながら考える」年金の起源、認知症とは何か?

【 2019/6/13の食事 】

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父の食事を作りながら考えた。

年金という制度の根本的な必要条件って何なんだろうかと。

投機ゲームに手を出したのは役人の浅はかさからであろうが、問題はもっと深い。
少子化は大きな要因の一つだろうが、それは現象の一つの現われである。

年金が必要なかった時代を考えてみると良い。
80年前は「家族=企業(商店や農家)」だった。お祖父さんは会長で、お父さんは社長、お母さんは総務・人事部長で子供は新入社員。
50年前から企業の規模が大きくなて、「商圏」が広がることで沢山の「家庭=企業」が吸収されていった。
しかし、「家族=企業」のメンタリティは残り続けた。

実際に、ソニーやホンダ、日産と言った大企業の黎明期は商店からはじまっている。
創業者の自伝などよんで見ればわかるが、実に慎ましやかで人情にあふれている。

「終身雇用」というのは、企業が「働けなくなった人(=家族)」を見捨てないという決意なのだ。
終身雇用は捨てざるをえない」と偉い連中がほざいているのは象徴的である。

やがて規模が大きくなり、国際的競争やM&Aの時代が来る。1980年台からのバブルの時代を経て人を「労働力の入れ物」としか見なくなる。
この時代は「資本の所有」と「経営」の分離が徹底していく。
つまり経営者と言えども株主の意向に従わなければならないということだ。

経営者にとっては一人の人間の不幸は、数字の一つでしか無い。


「家族」以外の「ヒト」はどうでもいいのだ。というよりも、積極的に切り捨てるべき「生きもの」でしか無いのだ。

「貧困の自己責任」

給料が安い、大企業に入れない、経営者になれない、それらはみな「劣っている証拠」と考えることで安心するのだ。
他人の貧困を見て見ぬふりが出来るのは「自己責任」と思うことによるのだ。

自分の能力がないから給料もやすく、貧乏な輩などはどうなってもいい。
自分が貧乏になるくらいなら、他人を餓死させたほうが良い。

ほんの50年前までは、こうではなかったのだ。
いくら金があっても、使うには限りがあった時代にはこうではなかった。
しかし、今という時代はいくらでも使いみちがある(笑)。
そして、金を使うということは、「その金を求める人を忖度させる」。
ますます、クレイジーリッチになり、そして自分の王国を持つ。


人の価値は内側にあり、「市場的な評価(=通貨)」では測ることが出来ない。
そう信じることは難しい。

では、この差社会はどこへ向かうのだろうか?
高い壁を作り互いに孤独の中に生きる他ないのだ。
ここまで分断され、多くの人が人生に絶望する社会はどうなるだろうか?
現実を見ればわかる。
「テロ・通り魔・引きこもり」と形は変わるがいずれも社会に対しての絶望を表現している。

変われなければ、多くの「文明の遺跡」と同じ様に破滅する。

そして、「貧富の格差を生んでいる構造」は上からしか変えられない。

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ちと忙しいのでもそもそ食った。
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