幸運な病のレシピ( 1451 )夜:ホイコーロ風キャベツ炒め、クチボソの焼きびたし、汁(仕立直し)、吉本興行の騒動と島耕作物語に見る社会格差の話あります。自分ファーストとディールの社会。

【 2019/8/3の食事 】

朝昼の作りおきがあったので頑張った(笑)。

野菜が食べたかったので、豚バラ肉を粉振って揚げてホイコーロ風にした。

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youtu.be

10:45 貧困のお話あります。

格差の議論を最近見ているが、どれもピンと来ない。

私達は「成りたい者になれる」と言う幻想に取り憑かれている。
1960年台の社会が大きく変わる瞬間に培われた幻想である。
「末は博士か大臣か」と言われた時代に信じられた寓話なのだ。

1950〜1960年台、地方に限らず多くの家庭は企業であった。
家業を持ち地域の経済は、家業のスクラムの中で成り立っていた。
その次代にまずいくつかの企業がモーテリゼーションを利用して商圏を拡大した。
そしてグローバル企業が成り立った。

やがて、経営と所有が分離してかつては当たり前だったメンテリティは破壊された。
利益のために社員の給料をどこまでも落とすことが経営者の手腕とされた。
経営者は給料をもらうが、それは社員を切り捨てて憎まれるご褒美なのだ。

同様に幹部社員も良い給料である。
そして、幹部社員になるのは経営者に可愛いと思われるかコネがある社員である。

コネというのは組織に対して従順であることの証明なのだ。
身分保障の一種なのだ。
だから悪いことではない。
組織が死ねと言った死ねなければならない。吉本興業の死亡時の賠償放棄契約はまさに象徴的である。

つまり、大学を卒業した所で良い給料をもらえるのは「コネのある親の子」なのだ。

「成り立ち者になれる」と言っても、大企業の社長に離れない。


島耕作は典型的な「コネのある男」である。
関係する女が道を開いてくれる。
あれってとんでもないもんだ。
あの物語の最後は、耕作がハッと気がつくと山手線の最終駅で駅員に起こされるところだたと言う終わり方をするらしい。
「婿殿」になれば良いのであるが.....。

女性の場合はトロフィーワイフになると良いのであるが。


もう一つは「金を生む木を持っている親の子」である。
「通帳の残高」ではない。未来の中朝に入ってくる金額だ。
高い家賃を取れるマンションの所有者、配当が入ってくる会社の株主である。

こういう格差社会はどうにもならない。
上が気持ちを変えて、共に働く社員の給料を上げれば、自の給料を下げなければならない。
これを、専門用語では「ゴーンの法則」という。


社会のセーフティネットがあるではないかという議論もあるだろう。
それは、労働者がものを買って売り上げた金額の中から「利益」が生まれ、企業は納税する。
その金額が原子となるのだ。
無論、社会保障費の一部は給料として経費とされる。これは巧妙な税の財源の迂回路である。
消費税を上げるということは、給料のアップが無い限り実質的な賃下げである。
そして企業の税金の負担を相対的に下げる。
どちらにしても企業の売上に対して税は発生している。

嫌な世の中である。




後片付け完了

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父の食事

今日は暑かったので昼はスイカだけで、今日はじめてのご飯。
もっと涼しくなったら食べるであろう。
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僕の食事

これで満腹
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「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。




今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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