幸運な病のレシピ( 939 )夜:後片付けを科学する 夜中に皿洗い

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2019/1/22の食事 】
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昨晩はよく飲んだ。後片付けは料理作りの大事な一工程なのだ。
食べる機会を逃したものを捨てる事も多い。後片付けをする事で気がつく事も多い。
「幸運な病のレシピ」とは、食事作りがいかに隠れたコストを必要としているのかをドキュメントしているのだ。


家事の分担と言われるが、家族というシェルタを失った私たちは、人生の最後を一人で過ごす。
その時のために、食事作りを練習する。



幸運な病のレシピ( 939 )夜:後片付けを科学する 夜中に皿洗い


「商品化された食事」が「生活習慣病と人生の終わりの災厄」を招くと仮説している。
正しいかどうかの結論が出るまでにはあと30年はかかる(もっと早く終わるかもしれないが)。
50-60代から「ガンや認知症、心疾患や循環器系の災厄」は大きな脅威となる。

医師や栄養士が太鼓判を押す「政治的に正しい栄養学」は生活習慣病を招くと見方を変えると多くの事実が繋がっていく。
「現象が好転しないのは対策が誤っている」からである。
しかし、その対策で食っている人たちがいる。簡単には変えられない。

では、そこから逃れるすべはあるのだろうか?
理屈ではなく実践できるかを証明したいと思ったのがこの数年の試みだ。


家庭から女性を解放した「グローバリズムの時代」は、「家族というシェルタ」を失わせるという副作用もあった。
家庭というシェルターは「料理作りを次の世代に受け渡す継承の場」でもあった(徒弟型のトレーニングの場)。
もはや、戻ってくるものではないし昔に戻ろうとしてはならない。
その時代は、「家族のために自分を犠牲にしなければならない時代」でもあったのだ。


僕が自分で料理を作り始めた頃、ははに若い頃どんな食事作りをしていたか聞いた。
すでに記憶があやふやになっていた母は答える事はできなかった。

人が当たり前にピンピンコロリの人生の終わりを迎えていた頃の食事(厨房仕事)はどうだったか僕は知りたかった。

大人になった子供と共に生きる事は多分難しい。
3世代同居と言っても、異なったキッチンで異なった食事を作っていたら厨房仕事のノウハウは継承できない。
共に生きる母の姿を見て、「厨房仕事というのはそううものだ」と学ぶ機会を失った娘はどんな食事を作るだろうか。


病気で僕は苦しんだ。糖尿病(生活習慣病)の専門医は患者を「病気の入れ物」としか見ない。
家族を看守に仕立て上げ、恐怖で脅かし、薬を売る。
家族が共に生きる道を閉ざす。


母との最後の数年を僕は忘れない。
母は気むずかしく、諍いの絶えなかった。僕ら夫婦の喧嘩の50%は母が原因だった(25%は子供の教育、残りは僕の糖尿病とそれを監視する妻)。


そして、最後の数年で和解した。
母は年取っていく事の恐怖にとらわれ、病的なほど病院に行き(笑)薬を処方されていた。
僕は母の食事を作り、毎日運び顔をあわせる事で、母は薬から抜け出していった。
あなたが一番の薬だと妻には笑われた。


僕は失明の恐怖と向き合っていた。
お互い苦労が絶えないねと笑ったものだ。
そして共に生きた数年だった。



私たちを襲う「病」は「商品化された食事」に起因する。
家族を愛して、共に生きるために、食事を共に作るほかないのだ。
誰かが誰かのために犠牲になるのではなく共食事を作り、分かち合わなければならないのだ。

娘に「厨房に立つ母の背中」を伝えたい。
いつか愛する人と共に生きる決意をした時、食事を共に創り続ける事ができるように、僕の動画を見てもらいたい。

毎日料理を作るのは大変だ。
見えないコストも多くかかる。時間もとるし、嫌な事も多い。けど、価値のある事だと僕は信じている。




この食事の血糖値プロファイル

僕は正真正銘の2型糖尿病の患者である。高血糖は食事に対する身体の当たり前の反応だ。そして、単なるマーカーでしかない。生活習慣病(ガン、認知症、脳溢血)は食事の反映でしかないのだ。そして、僕のマーカー(血糖値)が正常な食事は生活習慣病から自由になる食事。

経過分 mg/dl コメント
1 22 4 00 164 飲んだよく日は高い!

masaya50.hatenadiary.jp
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