幸運な病のレシピ( 1835 )朝 :お雑煮、鮭、ナバナおひたし、マユのご飯、夜は残り物
【 2020/1/2の食事 】
お雑煮は難しい。
僕が小さい頃食べていたお雑煮の味を想いながら作るのだが、上手く出来ない。
あーあ、母が動画アップしていてくれていたらなあ(笑)。
なにせ一年に数回しか作らない。
しかし,毎日作っている「汁」は雑煮のようなものだなあと想う。
魚はいつも焼く。
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マユのご飯は昨日のすき焼きや色々なものが入る。
美味しそうだ。
僕の朝食。昨日のおかずが多く入り、嬉しいものだ。
父は余り餅にはこだわっていないようなので、今日から米を炊くことにした。
何も贅沢を言わないで、自分の欲しい物も欲しがらなくなる姿を見ると考えさせられる。
確かに、何も覚えていないのだからいいのかもしれないが、そう扱うのは僕は好まない。
お汁粉いっぱいくらい食べてみようかなあ。
昼はそばを作って、機能のセロリの葉っぱのかき揚げを食べよう。
家庭それぞれの味というのは世代を超えて、徒弟的な厨房仕事の中で受け継がれていった。
一気に消えてしまい、「プロ=専門家=商売人」の作る物となってしまった。
無論、高い金を払えるならばそれなりのものになるだろうが、多くの人たちは払うことなど出来ない。
人生で一番先に切り詰められるのは「食費(=満腹を買う)」である。
そんな商品化された食事は食卓から「生命」を押し出す。
問題は細胞たちが「身体というコロニー」の問題には無頓着なことである。
どんな深刻な疾病に苦しもうとも身体というコロニーで生きる細胞にとってはどうでもいいのである。
私達が「神の苦悩」の存在を感じることがないように細胞は身体の疾患を意に介さない。
生活習慣病の起源は、そんな生活を強いる社会の中にこそ有る。
生活習慣病というのは社会の問題である。
医学では対応できない。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masaya50/20170815