空腹の研究 (2)1992年の糖負荷検査 僕のスタート

僕は、32歳の頃糖尿病と診断された。(見つけた資料によれば)
糖尿病の診断を受けて、一番の辛いことは、自分自身が否定されたように感じることだ。

当時の会社の健康診断で引っかかって、糖負荷検査を受けたのであった。

引っかかった時に、食事指導を受けたのかなあ、よく経緯は覚えていないが、その頃の記録を見るとまあ、凄いものだった。
大体数日分の食事記録を書かせて、◯☓を付けるのである。
そして恐怖を植え付けて、生活を変えさせようとする。

この時の栄養士か看護婦だかの『食事指導』には大きな問題点がある。
学校の試験の採点と同じ考え方ではダメなのである。


食事はあくまで結果なのだから、原因を見つけなければならないと思わないかい?
ただ単にダメダメと言っても、治るはずがない。

銀行型の学習」の典型例である。


僕は自分が『あんな病気』にかかったんだなあと思い、どうしていいかわからなかった。
まだ、僕の中では『あんな病気』だった。自分の人生が愛せなくなった。
何もかも、色あせて、すべての楽しさは消え、憂鬱になった。

まだ、病気を自分と切り離していた。
対立するもので、災厄で、治療するもので、追い出すもので侵入者だった。






その後、糖負荷検査を受けた。その時に、荻原先生という方に出会えた。
大学時代にウイルス性のI型になられたそうで、インシュリンポンプをお使いだった。

物腰静かにお話を聞いて頂けて、不安を話させてもらった。
色々なお話をお聞きした。
ご自身の体験、糖尿病の子供達のこと、この病のこと。

先生は、自分の生きていく上での問題として糖尿病を見つめていた。

その姿に触れた時に、僕は変わったのだ。
糖尿病は『あんな病気』ではなくなって、僕の人生の一部なんだと思えるようになった。

僕は、自分の運命を受け入れてこの病気と向かい合うことにした。
決して恥ずかしがる病気ではないとわかったのだ。


自分が変わったのである。これこそが「メタノイア」である。

先生に会えなかったらどうなっていただろうと時々思う。
お元気だろうか。







そして体重を25kおとした。そのあと、僕の人生は大騒ぎになるのである。
ソフト会社を退職して、独立、失敗、帰郷、鉄工所に努めて、またソフト会社を設立、客に騙されて、また復活、

その間、治療を受けたり、休んだり、糖尿病は進行、そして、このシーズン2である。


まだ、大騒ぎは続くのであろうなあ。
僕は楽しんでいるのだよ。


最初の糖負荷検査は1992年だから32歳だったのだなあ。



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