幸運な病のレシピ( 569 )深夜;後片付け、皿洗い 調理は厨房仕事の10%でしかない。食事を作らないのは後片付けが面倒だからなのです。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2018/8/4の食事 】
飲んだくれて、明け方目が覚めた。後片付けをした。
2015年に自分で食事を作ると決心した時に、まず考えたのは「厨房仕事全て」を皆行おうということであった。
後片付けが一番の難関であった。幾度も家族と大げんかになった。
一言で皿洗いというが、これほど高度な技術の必要なものはない。
「綺麗・清潔」と言うのは理屈ではなく、感じ方である。
そのために「説得」は意味がない。汚いと思われたらもうどうしようもない。
僕と家族の間では、とにかくその問題が大きかった。
最近では、僕の後片付けに「ダメ」が出なくなってきたのでまあいいということになってきた。
食事作りを毎日続けるにはこの難関を突破しなければならない。
いくらレシピのサイトや本の中で「簡単・馬鹿にでも出来る(失礼な!)」と書かれていても、誰も毎日の食事作りは出来るようにならない。
調理のレシピは簡単に見えても、それは厨房仕事の一面を切り取っただけなのだ。
「材料が揃えられているキッチンで加熱するだけ」の「調理」と言うプロセスの情報だけを知っても、実際に作るにはスキルが必要だし、それ以外の複雑なプロセスを理解しなければならない。
おまけに厄介なことに季節や作る人の体調、食べる人のニーズ、状況は変化する。
年齢に伴って「美味しいと感じるもの=身体が必要とする物」も変わっていく。
ボケてくれば鍋を炭にするだろうし、代わりに作ってくれる「循環して再生する家族」はすでに破壊されている(父は幸運な例外である)。
決して施設やヘルパーには「家族」の代わりはできない(僕は「介護」にはもっと別なあり方があると信じている)。
30年後の自分の問題である。
そして後片付けは「付加価値の低い」仕事と思われている(多くの場合っ時給が安い)。
家庭においては、厨房仕事(仕入〜下ごしらえ〜調理〜後片付〜整備)は一体である。
これを自分一人で出来るようにマスタできなければ人生のパートナーを失った時に「スーパーでオニギリと缶酎ハイ」を買って毎日を過ごすヒトになるしかない。
そして3年が経ち、生活習慣病の原因を説明する仮説にたどり着いた。
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