幸運な病のレシピ( 1614 )夜:「後片付けを科学する」食洗機は、ゆすぎ乾燥機だと考えよう。
【 2019/10/14の食事 】
とかく後片付けは面倒だ。
「台所仕事の役割分担」などという自分ファーストな言葉に惑わされてはならない。人生(厨房)を共にする誰かと「ディールの道具」にしてはいけない。
家事は苦役ではない。誰かに感を払って、やらせるべきものではない。
信じる神様への祈りのように自分から進んでやる。
厨房には神様がいる。家族の無病息災を、厨房の神様に願いする。
カマドの神様にお祈りして。
水場の神様にお祈りする。
家族を守ってください。
自分らしく生きる事を助けてください。
皆、寿命が来たら静かに逝かせてください。
やがて、一人きりになっても、出来る限り人様の世話に成らず、家族にも迷惑をかけず生きて、死ぬその時まで自分を見失わず、元気に逝かせてください。
宗教的である。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』はこちら『幸運な病のレシピ』はこちら
人生痩たり太ったりSeason2、Season1はこちら