幸運な病のレシピ( 885 )昼:煮しめ(牛と鳥の巾着)、グラタン(クリーム煮仕立て直し)
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2019/1/5の食事 】
数日前のクリーム煮をグラタンに仕立て直した。ほとんどの料理はチーズをのせて焼くと仕立て直しができる。
煮しめは、鶏肉と牛肉を叩いて巾着に入れた。
セロリ・人参・生姜も一緒に叩くとうまい。
牛と鳥は相性が良い。
幸運な病のレシピ( 885 )昼:煮しめ(牛と鳥の巾着)、グラタン(クリーム煮仕立て直し)
乾燥・精製工程を経た食材はコストが安い、炭水化物は魅力的だ。
しかし、その両者が「医学・栄養学では分析できない生命の要素」を欠いている。
そしてそんな食事は長い時間をかけて、「一人一人に異なった災厄」を招く。
一人一人の外見は同じだが、「身体というコロニーを構成する代謝系」は全く違うものだ。
そのために、その災厄は類型化され得ない。
つまり同じ病気として認識されないのである。
医学は、検査値を下げる薬があるがために、検査値の異常を病気と名付ける。
しかし、検査値は単なる前触れに過ぎない。
本当の災厄と相関関係はあるが因果関係はないのだ。
直接的な証明は不可能だが、私たちの現在の状況が証拠である。
食事を「商品=サービス」として扱うために「誰もが文句を言わないで買う炭水化物」が中心に据る。
売れ残りがないからコストも下がる。
製造のコストを下げるために「乾燥・精製工程を経た食材」が満載となる。
自宅で食事を作ったとしても、パスタにレトルトソースだったり、ご飯炊いて、ちょこちょこっと肉焼いて野菜刻むような食卓では同じ事だ。
それから逃げるためには自分で素材から食事を作らなければならない。
しかし、私たちは「家族というシェルター」を破壊してしまった。
かつてあった事も認識できないまでに破壊して、「共に生きる」事すらもサービスとして外注化してしまったのだ。
ではどうすれば良いのだろうか?
本当の問題はどこにあるのだろうか?
僕は毎日が苦しい。
自分の生活や食事が「正しいものか」わからないからである。
不安の中に生きている。
しかし、僕は「自分の感じる美味しさ」を信じるほかない。
魅力的な炭水化物や嗜好品、乾燥精製工程を経た食材を除く食卓を作る努力する。
医者や栄養士のいう事を聞いていれば、幸せになれると信じられた頃が懐かしい。
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