仏間の障子貼りとお昼ごはん

この日の続きです


10時半位に父が来た。

障子を貼る糊が欲しいという。
朝(8時前)、食事を持って行ったときにそんなことを言われたが、まさか今日来るとは思わなかった。

朝早くに洗って障子をはがしたという。家で障子を貼ることにした。



数年前に、障子を張り替えようと思い買った障子があった。
その時は、父はめんどくさがって貼ろうとしなかった。
母が亡くなる前年かその前の年であろう。
こっそり涙が出てきた。

昼に乾くだろうから飯を食べに来たら持っていこうと言った。



少し眠って、おにぎりを作り、持って行こうかと思っていた所に父が来た。


みそ汁を温めた。柿は半分を剥いて、残り半分は夜食べる。
卵は目玉を作り潰して返して作る。
唐揚げは朝の残りである。


おにぎりは60gぐらいで、中には「鮭とすりゴマ」が入る。
半分に切って中身を見えるようにすると嬉しい。
ラップで包んでおくと乾燥しないし食べやすい。


お茶を飲んで、一休みして帰っていった。

障子はまだ乾いていなかったので、明日の朝にでも持っていこうかと思う。






誰が何と言っても、「多彩なタンパク質を少しずつ」というポリシーは間違えていないと思う。
問題は、料理を作り続けることが難しいことである。


僕の作っている食事が、「老人にとって良いか悪いか・糖尿病患者にとって良いか悪いか」などというエビデンスなどはどこにもない。
食事調査も何も在るわけがない。


しかし、僕は信じている。
『「母が祖母から受け取って僕を育ててくれた食事」が、僕に受け継がれ、父を守っている。』
決して同じものは作れはしないが、家族を愛する気持ちは僕も知っている。

僕はナラティブな食事活動こそが、何よりの医療行為だと思っている。

父は母が亡くなったとき、明らかにおかしくなっていた。
しかし今でははっきりしている上に、自分から何かをしようという心がある。
今日は心底驚いた。


そして嬉しかった。


「面倒をいとわないで笑顔を思いながら作ること」

僕は「幸運な病の人」である。





不老不死など求めていない。

自分らしく、年相応に生きていたい。
父は毎日「今日はいい日だったと言い」実家に帰る。
きっと、ある朝起きてこない日が来るだろう(95まで生きると言っている)。


僕も、そんな人生の終わりを見つけたい。

そして、「遠くで生きることになる子どもたち」に伝えたい。













11月でも朝顔って咲くのだなと思わぬことを知った。

母が好きだった菊を持ってきて植えたのだが、しっかりと根づいたようだ。

何とも嬉しい。


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