幸運な病のレシピ(45) 目玉焼き&昨晩の焼肉、鮭カマ

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毎日の食事作りで一番大変なのは残り物である。
今日は昨日の炊き肉と、数日前の素麺に乗せたトマトとレタスとキュウリを一気に食べることにした。
目玉焼きを作るのと一緒に焼き蒸らしするのである。


トマトから入れて、皆あげる。



アスパラなどの加熱をしたくないものは目玉焼きの上に退避させる。



少し水を垂らして蒸す。



最後に少し水を飛ばす。
火力はずーっと強のままである。
必要ならばフライパンを上下して調整する。



ブリカマは醤油を垂らして食べる。
昼から夜に掛けての食事となる。



完成して盛り付けである。
2人分をちょうど良くできるフライパンである。



帰省している娘は、おっとうの朝ごはんだと喜んでくれる。

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今朝は大雨だった。

突然朝6時に父が来た。
ウトウトしていたら、ドアが開く気配がして、マユが吠えた。

「早いねえ〜」と言っておりていったら父であった。

この時間に来るときは朝と晩を取り違えていることが多い。
昼寝した後で起きたのかわからないのだろうが、ボケているとも病気だとは思わない。

普通の体の反応である。

すぐに病気だと言って、薬飲ませようとするのは間違えている。
その人にはその人なりの合理性も理由もある、それを受け止めるのが家族である。



早速朝ごはんを用意した。
昨日の肉と目玉焼きにトマト小さいフライパンで温めて、ヨーグルトを作る。

いつも済まないなあと父は言うが、何もそんなことはないと話す。
食事を済ませて、お茶を飲んでいる間、向かいの席に座って仕事の話をする。
すぐに忘れると思っていたが、覚えていることが多い。
昨日上手くデータを受け取ったよとか言うと喜んでくれる。
何のことか分からんが頑張れよと言ってくれる。


時折、実家に食事を持っていくことがある。
昔は食べっぱなしでいた。最近、皿を洗ってくれるようになってきている。
母が亡くなった直後は片付けもしなくなっていたのになあ。


僕の仕事が家でできるからこうも出来ると思う。
いろいろな人に、介護大変でしょうといわれるが、そもそも『介護』とは思わない。
いつからこの言葉は作られたのだろうか?
お互い様である。不可逆な状態に身体がなってしまうことは恐ろしい。
僕は糖尿病を治療可能な病気だと思ってきた。25年間の間である。途中で治療も受けた



父母には、とても迷惑と心配をかけた、感無量である。

いよいよ、月曜は本番である。
バックアップマシンが思ったように動かないので少し困っているが、まあ、なんとかなるものだ。






鮭カマの在庫があと一つになったので9時にスーパーにならんだ。
冷凍された鮭の切り身を一回箱から出すと6切れ出る。
開門と同時に走ったが、足の早いおばさんが先についていた。
「半分ワケしよう」といって2切れもらえた。
なんか、知らない人と話するの楽しい。

値段が落ちている豆腐とかピザとかかってくる。




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