ことことこーこ 阿川佐和子さん 「一人で抱え込まないで」という凶器(1)

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しばらく前から、妻に勧められて新聞連載中の「ことことこーこ」 阿川佐和子さん著を読んでいる
大学時代の恩師が新聞のスクラップをしていたので、僕もスクラップは得意。
僕はほとんど新聞を読まないので、妻が読んでは面白そうな記事と一緒に僕に渡す。
何日分か集まったらスクラップにする。




料理のコーディネータのコーコさんが、母の料理メモを見ながらいろいろな料理を作る部分大好きだ。
僕も料理研究家(笑)なのだが母の作ってくれた料理をいつも思い出しながら作っている。


「一人で抱え込まないで」と言う言葉はよく聞く。
ことことこーこの中でコーコさんは母の土地を売っぱらいたい弟に、言われる
(注1)。
「一人で抱え込まないで」と言う言葉の後には、「別な角度から見た私の意見は正しいから、私の指示のとおりにしなさい」という意志が隠れている。
それは、一見するとアドバイスであったり、提案であったり、許可であったりする。
そして、次のアドバイスは、「土地売って金を山分けしようぜ」である。


これの卑怯な所は、決して指示ではないのである。責任は負わないで自分に最大の利益が転がり込むことを狙うのだ。





「ことことこーこ」を読み始めて、自分の体験と重なっていくことが多く、何度も涙が出てきた。
コウコさんの現実に向き合って、苦しんで、頑張って、ズタズタになりながらも自分の心の言うままに母に向き合っていこうとしている姿が僕は好きだ。








僕らは、なぜ、楽な道を選べないのだろうか?
認知症で、子供のことも過去の出来事も覚えておらず、記憶もできなくなる。そんな親はとっとと施設に入れればいい。
施設に入れば、食事に薬混ぜて飲ませられるからなんお不安もなくなる。
夜中に徘徊もしなくなる。老人の世話から自由になれば家族で旅行にも行けるし、年金で払えない分は介護保険が出るんだから、使わなソンソンだ。そうアドバイスする連中は多い、「一人で抱え込まないで、あなたの人生がいちばん大事なのだから」と囁く輩だ。

施設に親を入れるということは、確かに、多くの事情があり、仕方がない場合もある。

そういう人をなんのかんの言うつもりはない。家庭が崩壊した社会の問題なのだから。
しかし、「親父の遺産を狙って、俺にそう言った奴ら」を許すことはできない。




僕の人生は、父と母が与えてくれた。

母は、僕を守り、力つけて、共に生きてきた。
やがて老いて、若い頃のようには行かなくなってくる。
そんな母と暮らした最後の数年間は僕を捉えて離さない。
記憶力はなくなって、自分では論理的な思考であっても、知らない人から見たら筋道が通らない。
他人の言葉は理解できないことも多くなってくるが、相手の心はかえってよく見える。
自尊心や感情は残る。子供扱いされ続けるとウンコ投げるほかなくなる。
ちなみに、母は投げませんでした。ちゃんと僕と大げんかしました(笑)。

その瞬間瞬間の喜びや悲しみは彼女の心に明るさや闇を与える。

毎日自分が衰えていっていることを何かのきっかけに知る。
そんなとき彼女は周りに怒り、落ち込む。
何度も励ました。それはアタリマエのことなんだと、僕もいつかたどる道なんだと.......。
しかし、なんの慰めにもならない。

時折、昔のことを思い出す。そして、その瞬間はまるで童女のようであった。あの笑顔を僕は忘れられない。

2015年1月5日、母は、昼過ぎにコタツで眠って、夕方にはなくなっていた。
前日の最後に交わした言葉を忘れられない。
幾度も繰り返す。
そして辛い。
心の一部になるにはまだ長い時間がかかる。
亡くなる3ヶ月ほど前の写真である。最後まで、アハハと豪快に笑っていた。




僕には「思いっきり頑張って、あなたの思う通りにやると良い、何か力になれることがあったら言って下さい」としか言えない。
任せるということはそういうことだ。
結論として、介護施設に入ることになったとしても、何も恥じることはない。



しかし、遺産を得るために親を施設に入れようとする連中は気に入らない。


何も出来なくなった老人は、子供の言うとおりにする他無い。
その道は、自分の道だと思えるだろうか?




かつて、家族が共に生きていた時代には当たり前の風景が消えたのだ
そして消えた風景を行政がなんとかしようとするが、それは無理というものだ。
介護施設での虐待や犯罪は後を絶たない。
当たり前である。



自分が入りたい介護施設を考えている。

父と共に生きながら食事を作り、毎日会話をしながら生きていく。
小さな言葉の端々に、色々なものが見える。
なんとか言葉にしたい。
20年介護施設に働いている友人ともディスカッションする。








「一人で抱え込まないで」と言うのは、いい言葉のように聞こえる。
互いに助け合い、友愛に満ちているように聞こえる。

しかし、これほどの偽善の言葉はない。


全く関係ない人を人は助けない。
南高の利害関係があるときしか、他人の人生に口を挟むことはない。
無論、誰かが困っている時に助けるという奇特な人はいるが、それさえも、自分にとっての何らかの満足があるからである。


例えば、自殺する子供に、「一人で抱え込まないで」といって、相談を受けた所でその子の現実は変わらない。

自分で何とかする他無いのだ。
世界に向き合い変えられるのは自分だけなのである。




一人で抱え込む他無い、あなたの人生はあなたしか生きれないのだから。
苦しむがほか無いんだ、その先にしか道は開けない。いつか見つけたものを僕にも教えておくれ。母さん。


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注1 : 一人で抱え込まないで
第229回 弟の妻の友人から聞かされるセリフ
[......お姉ちゃんの事心配していたよ。.......「一人で背負っちゃう性格なんで.....」
ここには2重の問題がある。

友人を経由して遠回しにコミュニティの中で当人を締め付けている。こういうのを根回しという(笑)。僕は大嫌い、空気なんか読ませられてたまるか!

この状況は、コーコ対弟なのだが、共通の知人を経由してコーコさんを孤立させていっている。
「一人で背負う」と言う表現には『素人が勝手な判断で』と言うニュアンスが込められている。
当然、弟は、専門家の言うことに従うべきだと言う立場である。
当然、この共通の友人もそう思っている事は類推できる。

認知症は施設に入所させて治療するべきだ』という専門家の意見に僕は反対だ。
しかし、治療を受けさせないとは『虐待』していると言う輩もいる。




「心配」と言うキーワード。
心配は「馬鹿にする」の言い換え言葉だと僕はいつも思っている。
つまり、「お前は能力がないから」と言う言葉が隠れているのだ。
我が家では心配は禁句である



一人で背負っちゃう性格。
コレは、難しいところである。
このようなケースに限らないで、多くの問題は、誰かが責任を持って判断していかねばならない。


老人は自分に何も力がなくなるから老人なのだ。
民法上の無能力者である。本人の言うことを根拠にして本人に危害を加える事を僕は嫌悪する。

家族が、世話をすることが出来ないといえば、選択肢は施設に行くほか無いのである。
言われたことを納得する他無い老人を説得するのは簡単であろう。
そちらのほうが幸せだと納得するのも簡単だろう。

「ことことこーこ」においてもお母さんが自分から施設に入りたいといい出すのである。

問題は深い。
共に生きている子供がどこまで納得出来るかどうかが大事な事である。
また、本当にそちらのほうがいいのかもしれない。

選択肢のない選択は自由意志であろうか?
次の本の主題である。




僕の未来であるかもしれない。
出来うるならば、そこは、その時の僕にとって幸せな住処であってほしい。

masaya50.hatenadiary.jp

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ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!

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  • 作者:長尾 和宏,丸尾 多重子
  • 出版社/メーカー: ブックマン社
  • 発売日: 2014/02/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
何と言ってもこの本である。
一番勉強になった。



治さなくてよい認知症

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母の認知症認定の時に違和感があった。
この本は、その違和感を説明してくれる。



老人ホームをテストする

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良書です。
読んでみましょう。


孤独死の看取り (脱力★ファンタスティポ系社会学シリーズ)

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辛くて、みんな読めていない。
やはり社会の問題である。


ペコロスの母に会いに行く

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ペコロスの母の玉手箱

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ペコロスさんの物語は涙が出てくる。
人生は一筋縄ではいかない。




完全図解 新しい認知症ケア 介護編 (介護ライブラリー)

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同じシリーズの他の本もあるがこの本は良かった。
ということは、他はだめである。