幸運な病のレシピ( 481 )夜中:父との晩酌(笑) ノンアルコールビールの効用(1)

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2018/6/6の食事 】
父の日常と毎日の食事を記録している。
これは「介護自慢」ではない.。
僕は運が良かっただけである。

ソフト開発という(自宅で出来る)仕事、毎年固定的に入ってくる国体の仕事、父の年金、妻の貯金、僕の料理好き、奇跡的な組み合わせで、父を側で見ていることが出来る。

幸運な人生である。


僕は父と暮らしている。
東京でにっちもさっちも行かなくなって、新潟に帰ってきて、仕事もなく苦しかった。
父と母は僕を見捨てなかった。

2015/5 母のタケノコ山にて


母は2016年に亡くなった。家が隣なので、父の食事を作ることも出来る。
母は「隣りでよかったね」といつも言っていた。
とは言っても、十数年前に父が買った「隣家の土地」に家を建てさせてもらったのである(笑)。






毎日この時間に、父は起きて酒を飲む。
5月20日から酒を飲んでいなかったので、しばらく一緒に晩酌していなかった。

今日は、ノンアルコールビールがあったので持っていっていっぱい飲んだ。
また買ってこよう。
2018年6月6日 1:30
89歳と58歳。





僕の友人たちも、親を施設にお願いしている人達が多い。
どうしても、僕が父と暮らしている話はしにくい。
施設にお願いする事が「親不孝」していると感じさせると思う。

しかし、親を施設にお願いするのは決して親不孝ではない。
無論良い施設を選ぶのは重要ではあるが.......。



僕もいずれ施設に入る。
社会の構造がそうなってしまっているのだ。


グローバル化
「歩いて通える範囲の職場=何かあったらすぐ駆けつけられる」
「夫(奥さん)だけの収入で成り立つ生活=どちらかが専門でついてられる」
「三世代で共に厨房を共有する食生活=食事という最高の武器を伝承し共有できる」
そのすべてを破壊した。

破壊したのは私達だし、個人の自由・解放というメリットしか見えなかった。大喜びで破壊したのだ。


かつて、年寄りと一緒に暮らしていた時代(僕は「循環する家族の時代」と呼んでいる)はもう過ぎ去って、取り戻せはしない。
しかし、年寄りとともに暮らすということは、自分の未来を見ることだ。

僕は見えるものを記録する。

介護の問題とは子供の気持ちの問題だ。

親は分かっている。
自分に煩わされないて人生を楽しめと言う。


僕は毎日ギリギリのところにいる。
将来への不安、糖尿病の進行、子どもの将来、夫婦の関係、仕事の困難、いずれも辛い。
多くの人が同じであろう。

父に励まされると、もう少し頑張ろうと思える。




僕が幸運だったのは、父の現役時代を同じ会社で過ごしたことだ。
70過ぎても現役で経営者の側にいた父と僕は労働争議で敵同士になり、大変な数年を過ごした。



嫌な奴らもいたし、汚い経営者もいた、素晴らしい仲間もいたし、裏切り者もいた、しかし多くの登場人物はすでに人生から退場している。あの辛かった数年は今の僕を形つくっている大事な人生の一部である。

父も母も頑張って生きていた頃を知っている。
だから、父の言葉が僕勇気づける。




僕にとって、父はただの年寄りではないのだ。
一度は東京に出ていって、ただの他人になった。そのままだったら汚い爺さんと婆さんだった、しかし、東京から帰ってきて25年の月日が、「父という老人と僕という子供」を作り上げた。




介護の本はよく読む。
最近は「棄親」とか「年老いた親とは離れろ」とかよく読む。
そのとおりである。
戸籍上の関係謎は何も意味しない。



そんなものは、遺産を受け取るための単なる債券でしか無い。
離れで数十年合わないでいれば、そこには自分を「守り、育て、慈しみ、支配し」ていた父母はいない。
共に暮らして、褌洗って初めて親子になるのだ。

妻には感謝している。





父はしっかりしている。
いつ最後の別れが来てもいいように、分かれるときは笑顔で別れる。
母との最後に交わした言葉はもう取り返しの付かないものだった。

今も悔やまれる。



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ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで!

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治さなくてよい認知症

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ペコロスの母に会いに行く

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老いた親とは離れなさい

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僕は、「介護という制度」を設計した学者や官僚に間違いがあったのだと思う。
「年寄り集めて集団で生活させれば、仲良く楽しくやるだろう」と考えたのではないかなあ。

だから、カラオケさせたり、輪になって風船突っつかあせたり、自分がヤラせられて楽しいと思わないことをヤラせて売上を稼ぐ。まあ、商売だから仕方がないが。

自分を知っている人たちはみな死んでしまい、本当の孤独が訪れる。
体は言うことをきかなくなり、小便を漏らしたことも気が付かない。
今日は何日か聞かれても答えられない、さっき何を食べたか聞かれても覚えていない。
自分が嫌になる(あれは残酷な問いかけである)。

そんな時に何をしてもらいたいのだろうか。




老人にセックスは必要ないと思っているから、介護人のお尻触ったりするとあっという間に薬盛られる。
確かに薬飲ませて、言いなりの木偶の坊を洗ったり飯食わせたりは簡単でいいのだが、僕は嫌だなあ。
と言っても、薬飲ませられてボーッとしているほうが楽なんだろうなあ。
どうせもうすぐ死ぬのだから。



俺はピンピンコロリの人生を生きるために毎日飯を作る。
ぼけないように、自分で生きていけるように食事を作る。
父は実験台である(笑)。

僕の30年後を生きている。

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